親の介護。そして終えて

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

1周忌

2016年3月17日(木曜日)17時37分


父はこの世を去った。


1年前の今日という日に。。。


昨日から、とてもブルーになっていた。


思い出す。


容体が悪くなっていく過程をー。


頭の中に鮮明に残っている。


そして涙が溢れ出す。


丁度この時間は、こうだった。


あーだったとー。


そして、1周忌を迎えお仏壇の前に座り遺骨を撫でながら号泣した。


お坊さんは、13時から半の間に来られることになっていた。


その少し前に行ってすぐに涙が止まらなくなってしまった。


13時前くらいに時計を見て、あー、この時間はもう苦しくなっていたのかな?とか


不安だったろうなー?とか。


苦しかったやろーなー、とか。


なんで、しょうもない時に来ての電話をかけてもらって

肝心な時に電話してって看護師に言わなかったんやろ?とか。


そんな事を考え思い出してたら鼻水全開で泣けた。


そして、その後お坊さんが来られ無事法要は終了した。


その後、1年前に小瓶に入れ持ち帰っていた遺骨を開けて

遺骨ペンダントへ入れてあげた。


これで、何処へ行くのもずっと一緒だよ。


お父さん、早いね。


もう1年も経っちゃったよ。


会えなくなって。。。


本当に辛くて悲しい。


大切な家族を亡くすということは、

こんなにも辛くて、悲しくて、寂しくて残酷なことなんだと初めて知った。


これ以上の悲しみや身を切られるような思いをすることは他にはないだろうー。


つくづくそう思う。

1年前の今日

1年前の今日、docomoへスマホの故障で病院へ行く前に寄った。


そして、明日の来店予約も取って病院へ行った。


夕方ごろ、病院へ到着するように通っていた。


いつものように病室へいくと父は寝ていた。


いつものように顔色を見てお茶やオムツの補充、

冷蔵庫の中のお昼間に出ている栄養ドリンクのチェックなどをし、

飲み物を選び用意をして父に渡していた。


その日は、ドリンクも冷蔵庫に溜まる一方で、

大好きな桃ジュースを渡さず

栄養ドリンクのバナナ味を手渡した。


それを「美味しいね」と言ってゆっくり飲んだ。


まさか、それが最後に口にするものとも知らずに。。。


最後に口にするものだとわかっていたら、大好き桃ジュースをあげとけばよかったよ!


少しでもカロリーを取って欲しくてその日は栄養ドリンクを手渡してしまった。


その栄養ドリンク1本で200カロリーは取れる。


3月に入ってすぐ肺炎で絶食になっていて食事の開始もゼリーとアイスクリームだけになっていた。


だから、余計にカロリーを気にしていた。


でも、それが最後になるなんてー。


丁度今ごろの時間だったかな(17時半から18時前くらいだったか?)


酸素が落ちだしてきたのは。。。


看護師がチェックしに来たときは88くらいだった。


それから見る見る間に80前後になっていき簡易酸素マスクに変えた。


すると、しばらくして酸素は95前後に戻った。


酸素が下がってるのに何も言わなかった。


いつもなら、「酸素きとるか?なんや息苦しい」とか言ってたのに。


顔の表情も変わってなかった。


その時、喘鳴も確認していた。


吸引をするも喘鳴はやまなかった。


嫌な予感がしていた。


足裏も足先3分の1ほどのチアノーゼも出ていた。


酸素低下、喘鳴、足裏のチアノーゼ。


身体中から最後のサインを出していたんだ!


その事に嫌な予感をしていながら、食事で出ていたゼリーもアイスクリームも食べないので

早めに帰ることにしたのだ。


19時頃、病室を出た。


なぜ、面会時間いっぱい一杯にいてやらなかったのか!


今思うと悲しくて後悔して仕方がない。


今まで何度も危ないところを持ちこたえてたのもあり油断した。


明日も酸素が戻ってなかったら、翌日からはお昼から行こう。


早めに行くようにしよう。


近いかも?と思いながらも余裕を持っていた。


本当にバカ!


そんな余裕なんてありゃしなかったのに!


これが意識のある父を見れた最後となった。


たった一言、「美味しいね」と言った。


これが最後の言葉だった。


最後に口にしたメイバランスのバナナ味の飲み物。


あっ、最後の言葉は、違う!


吸引されてるときに、「もう堪忍して」だった。


苦しかったんだろう。


ここの看護師、吸引下手だったから。


学校出たての新人から経験の浅い看護師が殆どだったから。


ターミナル患者を置く病院ではなかったな。


でも主治医が信頼できるドクターだったから仕方がない。


父もその先生に診てもらえて安心していただろう。


1年前の今日、意識のある父との最後の日だった。


いつものように「また明日ね。おやすみ」と手を握りしめ、

心の中で『明日もあるよね?』って呟いた。



でも、明日はなかったー。

1年先が。。。

1年先が見えるなら。。。


1年先がわかるなら。。。


1年前に戻れるなら。。。


何度、思ったことか。。。


1年先が見えるならー、1年前に戻れるならー。


絶対朝から晩まで面会時間いっぱい一杯まで居てるのに。。。


片時も離れず、ずっとそばについてたのにー。


1年先が見えたなら、1年前に戻れるならー。


私は、ずっとお父さんのそばを離れなかった。


ずっとそばについてたよ。


あと5日の命だったと知ってたならー。


あと5日間しか一緒にいれなかったのならー。


あと5日間しか時間が残されていなかったのならー。


先が見えてわかっていたなら後悔などしないのだろうか?


1年前に戻れるならー。


私は、朝からずっと父の側にいた。