親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

親の死に目

今まで、親の死に目には絶対に会いたいと思ってきた。


でも、現実に看とりを体験して思った。


今もトラウマのように脳裏から焼き付いて離れない。


死んでいく父を見て。


まるで魚がアプアプしているような呼吸。


所謂、下顎呼吸、喘ぎ呼吸ともいうのだろうか。。。


半開きの目は最早見えていない。


するといきなり呼吸が静かになり、酸素の値も70~60あったのが、

みるみる間に50~40、そして30~20に。。。


そして20.10...0と行ったり来たり。




するといきなり心電図が乱れ、血圧上200を越えたかと思うと急下降。


そして心電図のモニターは、緩やかな波。


そして、直線になりモニター0。


たった1時間半足らずの出来事。


私は、一生忘れない。いや、忘れられない。


確かに看取った。


この世から離れていく父の手を握りしめながら看取った。


それでよかったのだろう。


でも、相反する気持ちが私を苦しめる。


見ない方がよかったのかもしれないと。


息を引き取った後で対面したほうが苦しまなくてよかったのでは?と。



でも、一人で逝かせなくはなかった。


でも、死んでいく父の姿を見ることによって強烈にショックを受けた。



苦しい。


本当に悲しい。


本当に辛い。




この世から旅立つ父を見てしまい、PTSDになってしまってる気がする。


辛い。


こんなにも親の死は、辛いものなのか?


毎日毎日、思いは募り胸が苦しい。




今朝、夢を見た。、


夢の中でも父は病院のべッドで寝ていた。


それも、ベッド柵はなく体が3分の1ほど落ちかけていて今にもベッドから落ちそうだった。


私は慌ててお姫様抱っこのように肩と膝下あたりに両手を入れてベッドの中央に体を戻した。



すると目を覚ました父。


なにも言わなかった。



持った体は、とても軽かった。


びっくりするぐらい軽くなってた。


(実際、年を取って身長が縮んだと言っても173くらいあって、

体重も手術前は63キロくらいあった。


それが、去年の暮れには42キロって師長が言ってた。


でも、夢の中では更に軽くなってた。)




そして場面が変わり、誰かはわからなかったが、多分主治医だろう。


熱海に転医さすと言う。


えっ?なんで?そんなに遠くに?


すかさず言った。


「せめて遠くになっても最低週に2回は面会へ行きたいんですけど!」って!


そして師長が登場。


そのことを話すと、


「え?なんでそんなこと言うたんやろ?


あっ、そうか!


死ぬってわかったら遠くへ移すんや!


毎日、会ってたら死んだとき辛いから、遠くに離れてたら会えなくなって、

会えない間に死んだほうが辛くなくて済むからやわ」と。。。


「だから死ぬってわかった患者さんは遠くの病院へ移すんやわ」とー。



意味不明な説明に戸惑ったところで夢は終わった。



今日1日、何だかそんな変な悲しい夢を見て心はブルー。


夢の中でも父は死んでいくんだー。



夢の中でも消えかけてた父。




なんで死ぬんよ!お父さん!


会いたい。お父さんに会いたい!

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