肺炎って。。。
先週の金曜日から寝込んでいる。
昨日やっと病院へ頑張って一人で行った。
子供もいないし、夫は単身赴任状態で週末婚。
風邪だと思ったのでうつっても困るので帰ってこないでと言った。
なのでこんなとき、今までは近くにいた妹に甘えていたが、その妹も市街へと再婚のため、引っ越ししていったので甘えることも出来なくなった。
だから一人で行くしかない。
行ける頃には、峠も越しかけか?と思いきや
なんと肺炎になってた。
この度は、きつい。
咳に絡むような痰。
38℃を越える熱。
ひとり。
まいった、まいった。
父もこんなにしんどかったのか?
度重なる肺炎だったよね。
いや、これ以上にしんどかっただろう。
なにせ、重度の肺気腫、左上葉切除でそんな状態での肺炎は、想像以上だろうな。
これ以上にしんどい状態で、あの1年闘っていたんだろうな。
可愛そうに。。。
そら食べたくもなくなるよね。
今ならわかる。
私も食べたくない。てか食べれない。
なのに食べろ食べろとうるさく言った私。
ごめんね、お父さん。
しんどかったね。
いつも目の前にいてることが当たり前のように思っていたが、いなくなって初めて味わう喪失感。
遅いんだよねー。いなくなってからじゃー。
今でも車イスを押して病院へほんのわずか通院介助したことが昨日のことのように思える。
その当時、利尿剤のせいで30分もトイレがもたないから院内をよく走った。
車椅子専用はメインに1つしかないので取り合いになってた。
そんな中、隠れ家的車椅子トイレを院内奥で見つけた私。
それを父は、笑って「よく見つけてきたね」っと言って、
それからは、「おしっこ!例のとこやで!走れー!」って無邪気に笑いながら言ってたのも
昨日のことのように思える。
その頃、4月5月頃だったかな?
院内は、暖房がきいてていつも汗だくになりながら介助していたな。
その時は、しんどかったけど、今思うとそれも幸せだったと思えるやり取りだった。
本当に無くして初めてわかる大切さだなと、
今さらながらに思い知る。
その時、着ていたプレゼントしたウェアーの上下、遺品で持ち帰ってきている。
それを見ると当時を思いだし泣けてくる。
徐々に病気かなにかで弱って寿命で死んだならまだ諦められる。
でも、どうしてもそんな風に思えない。
手術をするまでは、自立で何不十なく生活できていたのに、
手術をして転げるように弱っていって息絶えた。
たった1年と8日でー。
このことが、どうしても納得できずにいてるし、
諦められない原因だと思う。
手術を受けさす前に、色んな病院へ連れて行っくべきだった。
たった一度の選択ミスで全てが決まる。
今さら後悔しても父は帰ってこない。
私は、この大きな十字架を死ぬまで背負っていく。
ここまで思えてよかったよ。
あれだけ大嫌いで憎んでいた父を愛することが出来て。
どれだけ親を憎んでみても、決して幸せだと思わなかった。
常に自分の心の闇、空洞を虚しく感じていた。
そんな私に与えてくれた1年間。
父を最後に愛することが出来て私は嬉しい。
最後に見た本当の父の素顔だったと思うからー。