親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

1年前の今日

1年前の今日、docomoへスマホの故障で病院へ行く前に寄った。


そして、明日の来店予約も取って病院へ行った。


夕方ごろ、病院へ到着するように通っていた。


いつものように病室へいくと父は寝ていた。


いつものように顔色を見てお茶やオムツの補充、

冷蔵庫の中のお昼間に出ている栄養ドリンクのチェックなどをし、

飲み物を選び用意をして父に渡していた。


その日は、ドリンクも冷蔵庫に溜まる一方で、

大好きな桃ジュースを渡さず

栄養ドリンクのバナナ味を手渡した。


それを「美味しいね」と言ってゆっくり飲んだ。


まさか、それが最後に口にするものとも知らずに。。。


最後に口にするものだとわかっていたら、大好き桃ジュースをあげとけばよかったよ!


少しでもカロリーを取って欲しくてその日は栄養ドリンクを手渡してしまった。


その栄養ドリンク1本で200カロリーは取れる。


3月に入ってすぐ肺炎で絶食になっていて食事の開始もゼリーとアイスクリームだけになっていた。


だから、余計にカロリーを気にしていた。


でも、それが最後になるなんてー。


丁度今ごろの時間だったかな(17時半から18時前くらいだったか?)


酸素が落ちだしてきたのは。。。


看護師がチェックしに来たときは88くらいだった。


それから見る見る間に80前後になっていき簡易酸素マスクに変えた。


すると、しばらくして酸素は95前後に戻った。


酸素が下がってるのに何も言わなかった。


いつもなら、「酸素きとるか?なんや息苦しい」とか言ってたのに。


顔の表情も変わってなかった。


その時、喘鳴も確認していた。


吸引をするも喘鳴はやまなかった。


嫌な予感がしていた。


足裏も足先3分の1ほどのチアノーゼも出ていた。


酸素低下、喘鳴、足裏のチアノーゼ。


身体中から最後のサインを出していたんだ!


その事に嫌な予感をしていながら、食事で出ていたゼリーもアイスクリームも食べないので

早めに帰ることにしたのだ。


19時頃、病室を出た。


なぜ、面会時間いっぱい一杯にいてやらなかったのか!


今思うと悲しくて後悔して仕方がない。


今まで何度も危ないところを持ちこたえてたのもあり油断した。


明日も酸素が戻ってなかったら、翌日からはお昼から行こう。


早めに行くようにしよう。


近いかも?と思いながらも余裕を持っていた。


本当にバカ!


そんな余裕なんてありゃしなかったのに!


これが意識のある父を見れた最後となった。


たった一言、「美味しいね」と言った。


これが最後の言葉だった。


最後に口にしたメイバランスのバナナ味の飲み物。


あっ、最後の言葉は、違う!


吸引されてるときに、「もう堪忍して」だった。


苦しかったんだろう。


ここの看護師、吸引下手だったから。


学校出たての新人から経験の浅い看護師が殆どだったから。


ターミナル患者を置く病院ではなかったな。


でも主治医が信頼できるドクターだったから仕方がない。


父もその先生に診てもらえて安心していただろう。


1年前の今日、意識のある父との最後の日だった。


いつものように「また明日ね。おやすみ」と手を握りしめ、

心の中で『明日もあるよね?』って呟いた。



でも、明日はなかったー。

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