親の介護。そして終えて

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

今日で2週間《父の最期》

丁度2週間前の木曜日、父は他界した。


この時間くらいから容態の急変があったんだろうか?


電話は、15時50分にあった。


丁度、病院へ向かう所だったので16時15分頃には到着してたかと思われる。


個室に変わったと連絡があり急いで行った。


個室に到着して目に入った光景は、一瞬目の前が真っ白?父の顔しか入らなかった。


目は半開き、顎を左斜めに突き上げて酸素マスクの中で大きく口を開いて

ガーガー苦しそうに呼吸をしていた。


所謂、下顎呼吸、最後の呼吸だ。


目は半開きだが、明らかに意識はない。


なんてことだ!思わず日勤担当の看護師に言った。


「なんで、もっとはやく電話してくれへんかったん?」と涙ながらに声を絞り出して言った。

何度も何度も。。。



私は、直ぐに左手を握りしめて耳元で大きな声で父に訴えた!


「何してるんよ?寝てる場合ちゃうよ!早く起きてよ!目開けてよ!」

「ねえーねえー、お父さん、聞こえてる?何してるん?目開けて!」

「頑張ってよ!もうすぐ〇〇《妹》が来るから頑張り!」と何度吠えたか!


そうしてるうちに肺のレントゲンを取りにくる。


なんで今更?と思った。


再び病室に戻り看護師が横になりましょか?と言い左側臥位にした。


すると痰が口から出てきて吸引をする。


すると直ぐに下顎呼吸がやんだ。



そのあと、モニターが乱れ始めた。


脈拍、血圧、そして酸素も50前後と落ちだした。


見る見る間にモニターは乱れだし、あれよあれよと言う間に酸素は20~30に落ちた。


血圧は、急に200を越え急激に下降し始めた。


酸素20から0、測定不能の横棒、また0


そうしてるうちに妹が到着。


血圧が乱れながらも緩やかに下降。


私と母が到着してからわずか1時間半足らずで呼吸も止まり眠るように逝ってしまった。


下顎呼吸の時に半開きで意識はなかっただろうけど、叫んで呼びまくったとき、

一瞬何も見えてないと思われる目が動いた。


1秒にも足らないが私と目が合った気がした。


でもすぐその視線は見えなくなった。


わかってくれてただろうか?


私が来てたこと?


一瞬でも意識もうろうとしてても戻っただろうか?


モニターが全て0になった瞬間、何が起こったのか目の前が真っ白になり、よくわからなかった。


そのあと家族だけで悲しんだ。




エンゼルケアがあるので一旦家に帰り父の元気だったときに着ていた介護用の下着でなく、

肌着、パンツ、靴下と取りに帰った。


そして葬儀社へ連絡と手配。



病院へ戻ると夜勤の担当看護師ともうひとり看護師がきてエンゼルケアを行うとのことで、


私がお手伝いするので一人でいいですとお断りをした。


そして、看護師と二人でエンゼルケアを行った。


排泄が気になってたので、最初に排泄介助から始めた。


排尿は殆んどなかった。


側臥位にすると白濁したピンク色の尿が少しこぼれた。


陰部洗浄を行い尿とりパットをあてパンツをはかせた。


その後、私は、上半身の清拭、看護師に下半身の清拭をお願いした。


最後に顔を清拭し、洗髪をした。


本当は上から順番なんだけど、顔を最後にしたかった。


詰め物、最後がよかったから。


詰め物を終えたあと、あーもう完全に生き返れないと思った。


生き返れることないのにね。


なんか呼吸が完全に出来ない状態が封印したみたいな奇妙な感じがした。


今思い出すと何がなんだかわからないまま、荷物の整理をして寝台車を待ってた気がする。


母が全部捨ててと言うから殆んど病院の荷物は捨ててきた。


うがいのコップとフリースの毛布、膝掛けと最後に使ってたアイスノンを巻いてたタオルだけ私の一存で持って帰ってきた。



そして、無言の帰宅をした。

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