生きるも地獄、死ぬも地獄
父が亡くなってもう17日で2ヶ月になる。
早いのか遅いのか。
最初の3週間、とても早く感じた。
2.3日前のことのようだった。
でも、2ヶ月は半年、1年過ぎてる感じだ。
あの悪夢からまだ、2ヶ月。
ここ数日間、生々しく犇々と父がいなくなった現実を感じ始めおかしくなりそうだ。
生きるも地獄、死ぬも地獄。
まさにぴったりの言葉だ。
ふっと思った。
親を亡くしてこんなにも辛く、気がおかしくなりそうなぐらい耐え難く強烈なものだと亡くして初めて知った。
毎日泣いて胸をえぐりとられるような思いをして。。。
これで幸せか?
こんな辛く悲しく寂しい思いをずっとして、何をしても、何を買っても、どこへ行こうと、
例え宝くじが当たろうとも幸せなど感じる隙間もないだろう。
どれだけの豪邸に住もうと、どれだけお金があろうと、どれたけ美味しいものを食べようと、欲しいものをとれだけ買おうと
決して幸せと感じないだろう。
親が生きていてくれてこそ、小さなことでも些細なことでも幸せと感じることができるんだろうとー。
親が死んでしまったら、苦しみ悲しみの渦に飲まれ、どれだけのことがあろうと心の底から笑えない、楽しめない、幸せと感じることすらできないだろう。
そうふっと思った。
親を亡くした悲しみ、辛さは何にも変えられない。
これが、配偶者てあれ、我が子であれ苦しみ悲しみは同じだと思う。
親、我が子、配偶者、相手によって受ける感情は、また個々によって違うかもしれないけど、悲しみや苦しみは同じだと思う。
私は、父親しか亡くしていないけど、これだけの苦痛を死ぬまで受けなければならないのかと思うと耐えていけれるか不安になる。
まだ先は長い。
死ぬまでこの苦痛と悲しみ、表現できない程の気が狂いそうなくらいの喪失感、
こんな思いを毎日して死ぬまで生きていくのか?
そう思ったとき、これで幸せかと思った。
もうこれから先、幸せと言えない気がしてくる。
もう、死ぬまで苦痛に耐えなければならない人生しかないくらいに思えて仕方がない。
それと同時に親が元気で生きていてくれることが、子にとってどれだけ幸せなことだったのかと思い知らされる。
大切な人を失うということは、不幸なこと意外なにもない。
でも、いつかはそこに終止符を打って思い出として胸にしまい前を向いて
自分の為に歩きださないといけないことぐらいわかっている。
でも、まだ、無理。
それにそこのスタート地点に立てるかどうかもわからない。
もしかしたらリタイアするかもしれないし、強く歩き出すかもしれないし。
それは、今の私には見えない、わからない。
未知の世界。
人間として生まれてくることは、残酷なことかもしれない。