親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

複雑

ここ最近とくに感情のまんま、ぶつけてしまう。


いまだに整理がつけれない爆発しそうな胸中がそうさせているのか?


現実を受け入れられない思考がそうさせているのか?


もうわからない。


色んなブログなど読ませてもらってるが、『死別』は

伴侶、子供が多い。


親は少ない。


いや殆んどいない。


やっぱり、子供〉伴侶〉親なのかな?


でもでも、失くす悲しみはみな一緒だと思う。


対象者が違っても受ける思いや共感は同じたと思う。


大切な家族を失うということー。


これほど迄に悲しく苦しいことはない。


整理のつけれる時間も人それぞれ。


出来ることなら短いに越したことないけれど。


親に対しては短いのかな?皆。


いつまでも引きずらないのかな?


まわりを見ててもそう思う。


こうやっていつまでも引きずってグズグズ言うってダメなことなのかな?


でもこの場所は、私にとってなんの飾り気もなく建前もなく本音を吐き出したい場所なんだー。


それがどんな馬鹿げたことであろうが、自分の気持ちに嘘つきたくない。


今、自分が思うこと、感じること、ありのまんまを吐き出せる場所。


だって、私にはこんな話を心底語れる人はいないからー。


本音で話せる人は母しかいなかったからー。

ない!絶対ない!

この世に、


神も仏もあるもんか!


あるなら愛する人たちは死んでない!


死ぬもんか!


これほど迄に愛され大事に思う家族がいながら、


なぜ召されるのか?


だから神も仏もない。


あるもんか!


あるならまだここに生きてるよ。


転ける瞬間、お父さんがお母さんの手を引っ張って緩やかに転けて軽い打撲程度で済んでるとか。


転けかけたけど、神様仏様がそっと手をさしのべ転けなかったとか。


あるはずだ。


でも、実際は違う。


大きく転けた?大腿骨骨折して翌日死んだ。


なんで?


なんで助けてくれなかった?


お父さんもそう。


なんで切ったら完治のレベルの肺癌で。


手術したのに術後の経過が悪くて死んだ?


あれ程までに頑張ったのにお父さん。


神も仏もいるのなら助かってるよ!


だから信じない!


信じるのは目の前の現実だけ!


この世に神も仏もあるもんか!


あの世も天国、地獄もあるもんか!


勝手に生きる人間の慰めで、お坊さんらが作り上げた虚偽の世界観だ!


だから、信じるものは救われるという言葉が存在するのだな。


私は信じないから救われない。


それでいい。

戻ってよ!

元に戻らんかな?


戻らんよねー。


どんだけ願っても。


どんだけ泣いても。。。


元には戻らない。


時間は過ぎていくばかり。


過ちは消せない。


これが現実でなく悪夢だったら。。。


どれだけ幸せかー。


これほど迄に執着するのは何故?


それは、関わってきた内容、深さが関係する。


13ヶ月過ぎたが、こんなに会わなかったことは今までにない。


生まれて初めてだ。


こんなにも母と会わないなんて。


母を亡くしてこれほど迄に打ちのめされるとはー。


まぁー、想像はついてたけれど。


やはりきつすぎる。


ここ最近、調子が悪い。


夢から覚めて現実のものとして、犇々と感じ始めている。


本当に死んでしまったのだとー。


あまりに急に。


こんなに前触れもなくー。


こんなにも早くー。


恐らく寿命で死んだなら、まだ諦めもついたかもしれない。


しかも自分が間接的に死んでしまうことに、関わってしまったことがトラウマみたいになってしまってる気がする。


だから余計にがんじがらめになって一歩も踏み出せずにいてるのか?


守る目標を失くして糸の切れた凧のよう。


私が私でなくなる。


お母さん、こんなにも急にこんなにも早く死んでしまうんだったら。。。


もっと優しくしてあげとけばよかったよ。


ごめんね。


本当にごめん。


今更、言っても遅いけど。