8月13日、月遅れ盆迎え火の日。
また帰ってきた?
本当にそうなら嬉しいけど。。。
本当に月日が経つのは早い。
もうお父さんと会えなくなって5ヵ月がこようとする。
もうそんなになるの?
時間が経つにつれて冷静さが戻り
益々いなくなった寂しさが倍増する。
土用の丑の日もそう。
いままで当たり前にあった行事や習慣事、
父がいなくなって初めて父なしで迎えることとなる。
年内に向け、父の誕生日、クリスマス、これまた悲しくなる場面だなー。
本当に毎日がしんどい。
心が。。。
泣き叫びたい!
一層の事、狂ってしまいたい!
こんなにも悲しみと苦しみを背負って毎日生きなきゃならないなんて。。。
辛すぎる。
本当に迎え火で帰ったきて送り火で戻っていくなら会いたい。
もう一度、父に会いたい。
どうして手術をする前に、もっとちゃんとしてやらなかったんだ!
手術前に検査で病院の帰りに、連れていってやりたかったお寿司屋さんがあった。
帰りに運転中にそのお寿司屋さんの話をした。
すると、父は「そこは、お持ち帰りできるんか?」って。
私は「今、行くんちゃうよ。お母さんが良くなってから皆で行こう」って。
「あっ、そうかそうか。」と父。
父は、病院の帰りにそのお寿司屋さんへ行くのかと思ったみたいだった。
そして留守番をしている母にお寿司を持って帰ってやれるのかを聞いてきたのだ。
でも、その時私はまだ、父と二人きりでいることがきつかった為、はぐらかした。
母が丁度、圧迫骨折をしていた最中だったので治ってから、また父の手術も終わって落ち着いてから家族で行こうと思っていたのだ。
でも、そんな小さな望みも叶わなかった。
二度と行けることはなかった。
本当にバカな私。
その時に連れて行ってあげとけばよかったよ。
一年後に死んでしまうんだったら、その時連れて行ってあげればよかった!
手術をしてから以降は二人三脚でやってきたが、それ以前までは背中合わせ。
二人だけでいるなんて息が詰まりそうで時間を持て余す有り様だった。
そんな関係だったから何もしてあげれなかった。
死んでしまってからじゃー、何も出来ないよ。
ごめんね。
たった一年間しか父と娘でいれなかったから後悔ばかり。
病院へ行ってる時も、もっと話せばよかったよ。
色んな話を。
それまで話したことが殆どなかったからね。
本当にお父さんは私のことをどう思っていたのか聞きたかった。
ある人がこんなことを言った。
親との死別が私よりも残酷だったとー。
私は思った。
比べるものではないと。
むしろ比べようがない。
人から見てどう感じるか?より本人にとってどうだったか?
全てがわかるはずがない。
どう感じようが、どう写ろうが悲しみの深さ、辛さの深さはその人間にしかわからない。
例えその人がどれだけ残酷で悲惨であっても、
私の悲しみ、辛さと比べてましとかどうとか言えることでもないし、比べられないと思う。
人それぞれみんな本人の感じる悲しみ、寂しさ、辛さが一番だ。
人と比べようがないと私は思う。
人から見て私の悲しみなんて小さいものよ、と感じる人がいるかもしれない。
でも、そんなこと私には関係ない。
結果論として、私の悲しみや苦しみは私だけが感じるもので、人からどう思われようがどうでもいいことだ。
仮にそれが慰めだとしても。
真実はひとつ。
八つ裂きにされるくらい心が痛い!
気が狂いそうなくらい悲しくて辛い!
そして底知れぬ寂しさ!
平常心でいられることが不思議なくらい!
心の中が、雨が降って嵐になってざわめくと泣けてきて仕方ない。
気が狂いそうなぐらい現実に打ちひしがれる思いだ。
お父さん、会いたいよ。