親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

まじムカつく! [6月23日 木曜日 1:47]

なんで?なんでわかってくれないんだろー(ー_ー;)


疲れてるのに。


もう充電がないのに…


もう歩くことすらも立っていることすらも出来ないくらい精神はフラフラなのに…


なんで?なんで?気づいてくれないの?


片付け?断捨離?


わかってる!


することぐらい!


やらなきゃならないくらい去年1年間、ほったらかしてるのわかってる!



やりたい!でも出来ない!


やろうと思う気持ち一杯持ってる!


したいよ!


でも、体が動かない!



しんどい!


めんどくさい!


やる気にならない!


なんで?


ただ単に怠けてるだけ?


わからない。。。



とにかく、何もしたくない(ー_ー;)


今はひたすら、ぼぉーとしていたい。


充電完了したら動き出せる。


空っぽなんだよ。充電する暇もないんだよ。


充電しかけたら使われる。


だから溜まる暇もないんだよ。


わかるかな?


わからないよね(; ̄ー ̄A


そんなクタクタな私の精神力などわかろうともしない、知るはずもない主人は、


家が片付いてないことを無言の圧力をかけてくる。


意図も簡単に。。。



「断捨離する言うたやん。」


「暇なときに少しずつ捨てていったらいいやん」って。。。



そうよ、貴方は週末しかいない、

何にも手伝うことすら出来ないくせに

簡単に捨てろ捨てろと言ってくる。


それが、どれだけプレッシャーになってるかわかる?


充電切れの私にムチ打って必死に家中を片付け、

何日もかかり引っ越してきました状態になるくらい

あちらこちらをひっくり返し断捨離して、整理整頓して、片付けて、

さっぱりした空間を作れと言うの?


疲れるんだよ。


考えただけでも。


今の私には出来ない。


そんな気持ちの余裕すらないよ。


わかる?わからないよね。


無神経になんでも簡単に何も考えずに上の空でしか話せない貴方なんてー。


わかるはずもない。


普通に見えるんでしょ?


違うよ。

切ない…[6月22日 水曜日 3:00]

日付は変わったが、今日《21日 火曜日》例の先妻との間に出来た息子、

言わば異母兄弟になる相手と初めて電話で話すこととなった。


存在は、私が17才の時、父が本当の自分の父親なのか?という疑問にぶち当たる出来事があり、

区役所で戸籍を取り寄せたのがきっかけで知った。


当事、とてもショックを受けたのを覚えている。


父が再婚?


私や妹の他にも子供がいる?


えっ?


私が生まれる何ヵ月か前に入籍?


そんなことが頭の中をぐるぐる駆け巡ったのを覚えている。


その相手と相続の件で話し合いをしなければならない運びとなった。



元はと言うと、司法書士に依頼をかけて発生した費用が、当初聞いていた金額より倍近く上がっていたのが発端だ。


そこで、始めに「相続を受けるのであれば、費用も折半してもらえる。」と聞いていたので、

半分持って欲しいと伝えて欲しいと司法書士に頼んだのだが、話がややこしくなり直接対決となった。


つまり、何故折半なのか?だ。


相手方いわく、母が半分、残りの半分を子供の3人で分ける。《私と妹は放棄》


母が一番取り分が多いのにおかしいやろ?と言うことだ。


だったら?


6分の1ならまだ話はわかる。とー。


どこから6分の1が出てきたのかはわからないが、そう言われれば言い返す言葉も無くす。


相手方が、どんな主旨で司法書士の費用の支払いも拒むのかもわからない。


1円足りとも取れるものは頂きたいと思ってなのか?


それとも複雑な心境、意地?からくる心理的な要因なのか?


疑いたくはないが、でもどんな人かもわからない、会ったこともない人だから尚頭を悩ます。


最終6分の1ですら、待って考えさせてくれとのこと。


余計に悩む。


微々たる金額なのだが…


そんなこんなで、気分は超ブルー。


異母兄弟?お兄さん?


会ったこともない人でもその響きに些か情も湧いたりする。


話によると体も悪くしてるという。


尚、落ち込む。


養父との間も上手くいかず、幼少のころから預けられ、

聞くところによるとかなり可哀想な生い立ちみたいだった。


そこも落ち込む材料。


無下にはできない。


でも、かかわり合うとぬかるみの世界に填まりそうな気もする。


糖尿病で合併症で網膜症、腎症、脚の神経症。


支えがないと歩けない。

目もあまり見えない。

1日おきの透析。


ほっとけれるだろうか?


恐らく関わるとほっとけなくなる。


もし、金銭的な要求があったら?どうしよう?とか。


まあ、金銭的なことは、頼まれても無理だけど。


色々、想定すると金銭的なこと以外はノーとは言えない自分が見える。


そうなると、また苦しんでいく気がする。


関わるなと言われるが、そうともできない自分もいる。


幼少の時期に可哀想な生い立ちを抱える。


身体が不自由。


この2つだけでもかなり同情してしまう。


幸せに暮らしていてほしかったなー。


健康でいてほしかったよ。


また悩み事が増える。


何故、親のしてきたことで私がこんなに胸を痛めなきゃならないの?


もう、しばらく誰の顔も見たくはない!


母親とも話したくない!


父の写真も伏せてしまった。



やるせないー。


切なすぎるー。

百カ日法要 [6月19日 日曜日 04:02]

日付が変わって昨日19日、百か日法要があった。


父の日でもあった。


去年の父の日は、病院のベッドの上で腕時計をプレゼントした。


今までになく嬉しそうに包み紙を開けて喜んでくれた。


そんな光景が昨日のようだ。


寂しい。悲しい…{{s366}}


もう今年の父の日は、いない…


どこにも…


百か日で本当に旅立ってしまった。


お坊さんの話によると百か日で家から出ていってしまうらしい。


本当は、そんなこと信じてないけど、そう思えば救われるから

そう思うようにしている。


またお盆に帰ってくるって。


本当にそうであればいいのにね。


なんだか百か日で一区切りがついたような気分だ。


なんでだろう?不思議だ。


でも、父の日が悲しい日に変わってしまった。


今までは、何をしても素直に喜んでくれた試しがなかった。


照れ臭いのか何なのかよくわからないが、とにかく可愛くないことばかり言っていた。


「金もないのにこんなもん、買わんでええのにあほちゃうか?!」ってね{{s353}}


とにかくムカつく!そんな父だった。


でも、本当に去年の父の日は、子供のように満面の笑みで嬉しそうに包装紙を開けている姿が印象的だった。


その姿を見て幸せを感じた。


私もとても嬉しかった。


それが最初で最後になった。





それと心に強烈に残っているのが、息を引き取る1時間少しの間、手を握って看取ったが、

その光景が目に焼き付き苦しんでいる。



下顎呼吸の時、目を半開きにした父の顔、


あえぎ呼吸…


酸素量の下降。60〜70、40〜50、20〜30、10〜20、そして0。


血圧200を越えたかと思うと急下降。


そして心電図はめちゃくちゃになり緩やかな波を描きそのまますぅーと線になった…


酸素マスクを取った顔は、口を大きく半開きにしていた。


苦しかったのかな?


呼吸ができなかったんだよね?


一瞬でも目が合った気がしたけど、側にいてること気づいてくれた?


もう一度、目覚めるつもりだったんだよね?


まさか、死ぬなんて思ってなかったんだよね?


何回も危機を脱出して落ち着いてきたもんね!


でも、二度とその目は開くことはなかった。


もう一度、開けてほしかったよ。


あの光景が頭に残り、目に焼き付き離れない。


目の前で大切な家族が息絶える姿、見て耐えれるものではない。


見ない方がよかったのかもしれない。


でも、看取られる方は、そんな家族に看取られ息絶えたいだろう。


何度も言ってきたが、これほど残酷なことはないと思えるぐらい、

耐え難く辛いものだ。


大切な家族の看取り、乗り越えれるのだろうか?


みんな、どうやって乗り越えてきてるのだろうか?


私は未だ、空中分解したままバラバラだ。


何も手につかない。


思考回路もバラバラ。


やる気もでない。


ただひたすら、ぼぉーと、じっーとしていたい。


時の経つのも忘れるぐらい…


お父さん。


お父さん。


お父さん…{{s364}}


百か日が終わったよ。