親の介護。そして終えて

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

今。

お父さんが死んでしまって

もう身も心もボロボロや。ていうのが今の心境。


昨日も久しぶりに妹と日帰りで温泉へ行ってきた。


ふっと父の話になってしまって、心境を話した。


話てるうちにまた涙がポロポロこぼれた。


妹曰く、「12月に1月一杯もつかどうかと医者に言われてたから

ある程度は覚悟できてたし、見てるのも辛かったから楽になれてよかったん違う?」と。


関わり方も性格も違うので受けるダメージも違うだろうが全く共感するところがない。


毎日毎日、目覚めて眠りにつくまで頭の中は、父のことで一杯。


写真を見ては涙。


残された衣類を見ては涙。


こっそり持ち帰った遺骨の瓶を握りしめては涙。



お父さん、私耐えれそうにないよ。


人は、1年したら少しは思い出に変わり始めてましになると聞いたことあるけど。。。



取り敢えずそれまで耐えるけど。


それを越してもこの悲しみや苦しみが今と変わらずあったなら、

私は、死んでしまいそうになるかも?



そんなことが毎日頭によぎる。



でも。。。



生まれたときから巣立つまで考えて!

思い浮かべて!


私は、生まれたときから体が弱かったらしい。


小児喘息で3歳になるまでずっと病院通いだったらしい。


おぼろ気に記憶にかすかにあるのが大きな注射器!


いくつの時かわからなかったけど、お尻にその大きな注射をよくされ泣きわめいてた記憶が頭の片隅にあるのだ。


恐らくそれが小児喘息での体質改善の治療だったのかもしれない。


とにかく、よく熱をだし、ミルクを飲んでは鼻から口からと吐き出して大変だったと聞かされていた。


7歳まで一人っ子で大事に育てられてるはずだ。


小学校2年の時、鉄棒から落ちて左腕を複雑骨折をし、1ヶ月半入院したこともある。


当時、天井から4キロの鉄の塊の重りで腕を引っ張り横からも引っ張って

寝たきりの1ヶ月半だった。


手術は、当時傷が残るからかしなかった。


今なら手術してボルトで留めるだろうけど。


その当時、丁度妹が生まれて離乳食時期だったらしく、夜中は父が病院へ寝泊まりしてくれてた。


夜中にトイレがしたくなると、よく片足を下に下ろし、簡易ベッドに寝てる父を足でツンツンした記憶がある。


しばらくして付き添いの家政婦さんがついたけど。


そのあとも、マッサージへ接骨院へ毎日半年間連れて行き

お風呂でマッサージもしてくれてたなー。


父も母もどんな思いで私を産んで、どんな思いで私を育ててくれたんだろう?


そんな事を考え想像すると粗末に命を投げ出す訳にはいかない。


大切にしないと申し訳ない。


罰があたる。


どんな親であれ、産んで育ててくれたということには、感謝をしなければならないと思う。


世間でよく聞く毒親とか言うけれど、産んで育ててくれたから、今がある。


どんな状態であれ幸せと感じること、感じる一瞬でもない?


生きていれば必ずあるはず。


全くないなんて人、いないと思う。


多い少ないはあるかもしれないけど、ひとつやふたつ、必ず嬉しいこと幸せと感じることはあるはず。


それは、父となる人、母となる人がいて産んでくれたからこそ体験できることで、この世に生を受けていなければそんな思いも感じることもなかったと思う。


生まれてきたから、愛する人と巡り合い、愛する子供に恵まれたんじゃないかな?と思う。


まぁー、私は、子供に恵まれなかったけどね。


だから、悲しいかな親の気持ちとやらは、はっきり言って体験できてない分、

想像でしかないけど。


そう考えると感情的にでも死にたいなんて思っちゃいけないんだと思いなおせる。


そう、そんな風に思ったら親に申し訳ない。


折角、産んでくれて苦労して育ててくれたのだからー。


だから、お父さんの分までしっかり生きなきゃ!って。



でもね、足が地についてない。


空中分解して体と心が伴わなくて。


何もできなくて、注意力散漫していて。


ふと気づくと時間だけが経ってるって感じの毎日だ。


本当に出きることならあの日に戻して!


3月16日に!


面会時間ギリギリまでいて、翌朝すぐに病院へ行って

ずっと父の側についてるから!


最後の別れが危篤状態で意識がないなんて!


最後の別れが前日の帰るときに見たあの不安そうな寂しげな顔。


あんな表情、後で思うと今までになかった。


本人も何か感じていたのかもしれない。


それが意識のある最後の父の姿だった。

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