親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

ぐるぐる回って行き着くところはー。


結果論、やはり父を殺したのは私だ。


肺癌の手術を受けた病院、NS病院。


ここを指名したのは私だ。


あんな病院にさえ連れて行かなければ、


若しくは、診断が下ってから掛かり付け医に相談すべきだった。


その選択も自ら却下した。


藁をも掴む思いで呼吸器内科へ行き、藁をも掴む思いで医者の言葉をセカンドオピニオンも受けず鵜呑みにした。


全てここからが間違い。



まずは、掛かり付け医へ相談すべきだった。


次にセカンドオピニオンへ医大なりもっと大きな病院へいくべきだった。


私の選択=父を殺した。


毎日毎日、何故父が死んだのか?


何故初期で肺癌の手術をして癌とは決別できたはずなのに、1年ほどでそれが原因で命を落とさなければならなかったのか?


何故?何故?



肺を切除した➡呼吸不全➡心不全➡肺機能の低下➡心臓に負担➡リンパ節切除の為もあり免疫低下➡肺炎➡心臓に負担➡肺水腫➡低酸素➡心臓に負担➡心不全➡肺炎。。。



エンドレス。


これらは、ただでさえ重度の肺気腫なのに高齢なのに手術をした結果だ。


いくら考えてもそう思えて仕方ない。


最後も何故?死んだ?



両肺真っ白、肺に水もたまってるのも増えてきてた。


炎症反応正常値マックスの×3倍。


1日で?


なんで?


いつ死ぬかわからないという状態だったから理解は出来る。


でも、いったい急に父の体で何が起こって死に至ったのか?


そこがわからないし理解もできない。


なぜ、なんの処置もなかったのか?


酸素が取れなくなってるというのに。


何故?


酸素を強引に入れても体が受け付けない?


低酸素➡心臓に負担➡各臓器への酸素不足➡多臓器不全?


酸欠➡心不全?


炎症反応上昇➡敗血症?


いったいどうなって死んだの?



なんの説明もなかったから余計にどうだったんだろう?なんでだろう?と頭の中でぐるぐるとする。


説明されたのは、炎症反応が凄く上がっていた。とだけ。


一層のこと、主治医と会って色々聞きたい。


聞けば納得もできるし諦めもつく。


本当にそうしたいけど出来ない。


ただでさえ、話にくい先生だ。


それに今さらそんなこと聞くために時間を取らすのも迷惑な話だ。


でも、知りたい。聞きたい。


そして、最終的に行き着くところは、やはりNS病院へ私が連れて行ったから父は死んだ。となる。


私のせい。


私が父の寿命を縮めた。


そう思うと悲しくて悲しくて、父に申し訳なくて精神が崩壊してしまいそうになる。


良かれと思い完治を目指し選択した結果が、父を亡くす結果となるなんてー。


自分を責める以外、何もない。


苦しい。本当に苦しい。


お父さん、本当にごめんね。

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