親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

三回忌

2年前の今日、17時37分、


父は永眠した。


1年の術後の経過が悪く闘病生活を送った末だった。


誰もが患部を切り取れば終わりだと完治だと信じていた。


簡単だと思っていた。


手術をして2、3ヶ月もしたら回復して普段通りの生活が出来ると思っていた。


いや、そう信じていた。


だから、手術して落ち着いたら家族旅行を計画しようと思っていた。


最後になるであろう家族旅行をー。


なのに、旅行どころかあの世へ逝ってしまった。


今頃、呼吸が浅くしんどかったんだろか?


今頃、最早意識もうろうとしてたんだろうか?


もっと聞いとけばよかった。バカナースに。


素人に毛が三本ほどしか映えてない未熟な看護師達。


何度同じことをいっても業務が出来ない。


バイタルはかって、何度も点滴失敗して患者の変化にも気づくの遅くて、家族のきもちも理解できない最悪な看護師たち。


そんな病院へターミナルに選んだわたしはバカ?


ドクターが主治医でいいドクターだからそこを選んだ訳で、ここまでスキルの低い看護師達とは夢にも思わなかった。


おかげで意識のあるときには会えなくて危篤状態になってから電話がかかってきた。


朝になってもサチュレーション上がってなかったら連絡してよ!


あれだけ言ってたのにね。


お父さんの意識がある最後は、亡くなる前日、夜寝仕度を済ませて帰る際だった。


いつものように握手して、固く握りしめて心の中で『また明日ね。明日もあるよね?生きててね。』と呟いて帰る。


無言で私の手を握りしめて頷いた父。


それが最後だった。


お父さん、死ぬ前に何か言いたかったことあったのかな?


言い残したことあったのかな?


あの日、あの夜、16日の最後の夜、

何か言いたかったことあった?


思い出すと悔しくて悔しくて悲しくて悲しくて気持ちの拠り所がない!


2年前に戻れるならー。


3年前に戻れるならー。


私には未だに死んだということが理解出来ない。


頭では死んでしまって存在しない、体もないってわかってるけどー。


心がー、気持ちがー。。。


2年前のこの時間も側に居たかった。


意識のある間から息を引き取るまで手を握りしめていたかった。


お父さん、焼かれた骨も全部持って帰ってきたらよかったよ。


あんな小さな骨壺に一部一部なんてー!


微塵も欠片も残してくるんじゃなかった!


残った骨は、どうするのか?と聞いたけど。


納めるところがあるといってたけど。


微塵すら他所に持っていかれるんじゃなかったよ!


後になって後悔したよ。


お父さんの全部を持って帰ってくるべきだったとー。


姿形が変わってもそれがお父さんだから。


なんだか、一部がなくなってしまったようでー。


病院で使っていたお父さんの遺品と小瓶に取った遺骨も私が死んだとき、棺に入れてもらう。


そして、その内くるであろう母のと父の遺骨は私が呆けるまで側に置いて終活始める頃にお寺に持っていく。


可能であれば私のお骨も同じ所へ入れて欲しいのだけれど、子供もいないからそんな願い聞き入れてくれる人がその時にいてるかどうかわからないけど。


まぁー、人生ギリギリまで側にいてるよ。


人に何て言われようが関係ない。


私は、共に生きていきたいからー。


それだけ大事な家族だからー。


この世を敵に回しても、きっと親だけは見方でいてくれたはずだからー。


どれだけ喧嘩してもどんなことがあろうが、切っても切れない親子だから。



それだけの絆がそれ以外、存在するのだろうか?





お父さん、もうすぐお坊さんがくるよ。

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