親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

お母さん

2021年。


新しい年になった。


何なんだろう?


しばらくブログも開けずにいた。


年末年始、かなり気分が落ちたのか?


初めて迎える母のいない年末年始。


毎年、決まってお正月の用意や準備を共にしてきた。


母が元気な頃からも一緒に買い物へ行き、おせちの準備中にも1日何回も電話のやり取り。


一段落つく度に休憩を兼ねて電話で報告。


とくに数の子の塩抜き時間は面白かった。


数の子の箱に書いてる通りの時間を塩抜きすると我が家は抜きすぎるのである。


だから微妙な時間合わせに電話をしてよく聞いたものだ。


「数の子つけた?」

「水変えたか?」

「次、何時間浸けるん?」等々。


あと、

「ごまめ作ったで。」

「黒豆炊けた?」とか。


もう色々、電話をかけながらおせちを作ったものだ。


30日は、10回は電話を朝から夜までかけてたような。。。


母が倒れる前までは。


そして、父が亡くなってからは一緒に年末年始を迎えるようになって

一緒におせちのカタログを見たり、年越しそばのサイドメニューを考えたりして楽しい時間を共有した。


本当は、私の鬱が良くなって元気になったらおせち作りを再開して

一緒にお正月の用意をしたかったのに。


大晦日も悲しかった。


本当ならここに一緒にいれたはずなのにって。


お正月も喪中だからお正月って感じでなかったけど、

せめてお雑煮と個食のおせちを頼んでたからと迎えた食卓だったが、

母が居ないお正月は悲しくて寂しかった。


作ったのは数の子とお雑煮だけ。


数の子は、いつもなら500gを3人で三ヶ日でなくなる計算だ。


でも今年は母の分だけ余って4日まで食べた。


3日に余った数の子を見てまた涙が出た。


こんなに悲しい寂しい年末年始は初めてだ。


なので、また情緒不安定。


ダメだなー。


頭の脳みそに焼き付いてるお母さんの顔が。


思い浮かべる度に泣けてくる。


もう2度と会えないんだ。


どれだけ泣き叫んでも、どれだけ願っても、どれだけ望んでも。


もう会えない。


会いたい。


これが想像の世界で、現実家に電話して「はい」って出てくれたら。。。


どれだけ嬉しいことだろう。


今すぐ飛んで行くのに。

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