親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

時の経つのは早い

もう1週間がくる。


早い。


目まぐるしく時間が過ぎていく。


毎日手続きなどでバタバタだ。


今日《23日》役所関係は完了した。


そんな傍ら、やはり立ち直れないでいる。


父のお骨を前もってお持ち帰りをする計画だったので実行に移した。


あらかじめ用意した小瓶にお骨を持ち帰ってきている。


毎日それをバックに入れ持ち歩いてる。


飲食店へ入るときはテーブルにそっと出し、料理を取り分けお箸もセットしておく。


勿論、誰が見てもわからないように小瓶には、小さな巾着袋に入れている。


あれから片時も離れていない。


こんなことするのは、変?


いいの、それでも。


変と思われようがどう思われようが。。。


私は、父とはまだ離れられない。


別にファザコンではない。


何十年もの歳月が他人のような関係だった。


それが、この1年間で二人三脚の間柄になったのだ。


だから尚更想いは深い。


人は立ち止まっていたら先に進めないと言うが、私はそれでもいいと思っている。


立ち止まっていたけりゃ立ち止まっていればいい。


気が済むまで立ち止まっていればいい。


そして、とことん納得して歩き出したくなったら歩きだしたらいいのだ。


無理に歩きだす必要などない。


悲しければ思いっきり悲しめばいい。


泣くだけ泣けばすっとするし、人はぶっ通しで24時間泣ける訳がない。


そうやって泣きまくって、泣き止んでまた泣きまくっての繰り返しの中、少しづつ、すこーしづつ、泣く距離が遠くなるのではないかと思う。





私は、主人にこんなことを言われた。


告別式のあと、家へ帰って泣きまくる私に、「そんなこと言うなら死ぬ?死んだら楽になるよ!」って。


その言葉の意味は、励まし、頑張れと言う意味合いだったはず。


でも、私は唖然とした。


悲しみのどん底にいる人間に対してよくもそんな言葉を吐けたもんだと。


悪気があろうが無かろうが問答無用。


人として思いやりも温かさもない人間だと翌朝冷静になってふっと思った。


よくぞ妻にそんな言葉を吐けたもんだと。


死んだら楽になるよ。この言葉、人として言える言葉ではない。


自暴自棄になり、自分で発する言葉ならまだしも、人に対して発する言葉ではない。


人として、絶対に言ってはならぬ言葉があるはず。


最早、心は凍りついてしまっている。


父を亡くした底知れぬ悲しみと最愛なる夫に如何なる意味合いが込められていようと、

更なるどん底へ突き落とされた絶望感。


映画ではないが、「私は貝になりたい」と心底思った。

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