親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

毎日毎日頭はぐるぐる

お父さんが生きてる時からよく思ってた。


こんな風にしてしまったのは自分のせいだ!って。


こんな風にしんどい思いをさせて、寝たきりにさせてしまったのは、自分のせいだと責めていた。


そして今度は、死んでしまってからは、殺したのは私だ!と思うようになってきた。


私がお父さんを殺したも同然だ!


掛かり付けの病院で肺癌が見つかり、紹介状を書くからどこの病院がいい?と聞かれ

市内で思い付くとこで評判もいい感じに思えてた所があって、食事もおいしいと聞いていたからそこを指名したのも私。


次は、ドクター。これもネットで調べて呼吸器内科部長で肩書きもいい、肺癌専門みたいな感じで記載されてたから、

そのドクターを指名したのも私。


検査結果、初期だったので手術も耐えれるだろうとの判断で手術を勧められ、

父の考えも聞いてあげず勝手に話を進めたのも私だ。


「切ったらしまいや、大丈夫!」と気休めみたいに父に言った。


私自身も軽く考えていた。


1a期ということで切れば治ると。


ただ、重度の肺気腫と高齢ということだけが心配だった。


しかし、そこもドクターに何度か聞いたが6分間歩行テストで大丈夫だろということで、呼吸器外科の先生が手術をしようと判断したから大丈夫だろう。とー。


事前に検査入院して、腹部大動脈瘤が見つかり、しかも直径5.7センチにもなってたらしい。


今まで何も言われなかったの?との問いに掛かり付け医に疑問を抱いた。


おまけに呼吸器内科専門でなく循環器だ。


その辺もあり検査結果のあと、掛かり付け医の予約も入れていたが、キャンセルして今後も継続して見てもらうことを決めたのも私。


父の意志など聞きもしなかった。


聞いてもわからん、好きにせえ。と言うだろうと思っていたのもあったし。


いつもそうだから。


でも、今回のは自分の体のことだから聞いたら自分の意志も言ったかもしれない。


検査結果のあと、掛かり付け医に行ってセカンドオピニオンで手術をするべきか他に方法はないのか?とか色々聞くべきだったかも?


手術後、心不全を起こして顔も手足も浮腫でパンパンになっているのに対し、

看護師に何度言っても対応してくれず、2、3日経ってようやく先生が来て利尿剤だしとくわ。とだけで循環器の先生にも診てもらうこともしなかった。


その後10日で追い出され、ふらふらで退院した。その後に掛かり付けの病院へ連れて行けばよかったと。


案の定、退院後、倒れて救急車で搬送。


その時も、手術もをした病院へ連れて行ってしまった。


手術をした経緯もあるし、まだ呼吸器内科の先生を信じてたのもあって。


心不全で入院。でも循環器の先生は、ほぼノータッチだったような。


今、考えると全てが対応するのが遅かったかも?と。


病院選び、医師選びの選択ミス。


手術を勧められセカンドオピニオンもせず決めたミス。


掛かり付け医に戻らなかった選択ミス。


父に意見を聞かなかった。


全てが私の責任。


私が父を殺したも同然と毎日頭の中でぐるぐる回る。


最終見切りをつけてお盆に強引に退院させ、その足で掛かり付け医に連れていき、

一度は歩けるようにまでなり、ご飯も食べれるようになって退院出来たのにー。


退院当日、モスでチキンとポテトが食べたいと言うから連れていき駐車場から歩かした。


そのあとも、食材の買い物へも付き合わせ駐車場から歩かし椅子に座らせて待たした。《リハビリだと思い、歩けなくなることを避けたかった。焦りすぎた》




母が訪問介護のサービスをとことん拒否するので、あえて退院後1度も家に行かなかった。《一人で見るのがどれだけしんどいかわかってほしかったから》


でもその分、父はトイレへ何回も歩いて行くのがしんどかっただろう、辛かっただろう。


これが心臓に更に負担をかけてしまったに違いない。


わずか5泊して救急車で搬送される羽目になるなんてー。


全部、私の責任だ。


そして2度と生きて帰ってこれなかった。


私が父の寿命を縮めたのだ。


私のせいで父は、死んだ。

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