親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

当たり前に

いつも一緒に居てることが当たり前になっててー。


いつも隣に居てることが当然になっててー。


当たり前になりすぎて忘れていた。


居なくなることをー。


当たり前に居てることが居なくなって初めて気づく。


こんなにも喪失感が半端ないってことが。


全てがまるで昨日のことのように感じる。


診察後のティータイム。


いつも決まって大学病院のカフェへ寄って帰る。


その時の向かい側に座る母の顔。


車の助手席に座る母の横顔。


頭の中、母の顔が走馬燈のように一杯だ。


冬場、血行が悪く指先が氷のように冷たかった母。


運転中、気づけば片手で運転して左手で母の指を握って温めた。


そんな冷たい母の手の感触もはっきり覚えてる。


母の笑い声。


笑った顔。


怒った顔。


拗ねた顔。


そして泣いた顔。


全てが愛おしい。


思い出すと涙が止まらない。


全てが当たり前に思ってきてしまった愚かな私。


父で学習してわかっていたはずなのに。


やはりどう考えても急に逝かれてしまうと心の準備も

後悔する心のページの塗り替えも出来やしない。


いくらどれだけ謝ってもみても届かない。


伝わらない。


私は、大きく3つの後悔と自責の念に苦しんでいる。


1つは、亡くなる直近で母に愚痴をかなり言ってしまったこと。


2つ目は、時折辛く当たってしまったこと。


3つ目は、前もって電話もせず、訪問してチャイムを鳴らし焦らしてしまったこと。これによって転倒させてしまったこと。


この3つが胸を締め付ける。


遺影を見て涙ながらに謝ってもみても母には届かない。


悲しく思っただろう、心の悲しみは塗り替えてあげられない。


当たり前に一緒にいたことが、横に居たことがこんなにも有り難く幸せなことだったとはー。


父でわかっていたつもりだったけど、やっぱり生きていたら実感がわかないのか今になって強烈に感じる。


父の時は、底知れぬ悲しみの中にいた。


母の時は、また違う。


何だろう?これは?


底知れぬ喪失感?


何とも言い難い思いだ。


とにかく耐えられない。


お母さん、叶うなら本当に戻ってきてほしい。


そしてもう一度やり直したい。

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