漠然とした思い
ここ最近、漠然とモヤモヤして中々ブログに向き合えなかった。
母は、回復に向かって今のところ順調だ。
長引く入院のせいか、モヤモヤ渦巻いている。
父の病院通いが終わり1年も経たないうちに、今度は母の病院通い。
とても複雑な思いだ。
未だに同じことを同じようにくるくると走馬灯のように頭のなかを駆け巡り、
同じことを心の中で問いかけ叫び。。。
そして涙する。
なんで死んだん?と。。。
生きるために手術をし、何故1年で死んでしまったのか?と。。。
苦しい思いをし、痛い思いをして手術をしたのに最低でも5年は生きなあかんやん!と。。。
なのになんで?って。。。
やはり、ここだ。
生きるために手術をしたのに1年で死んだ。
そこが、どうしても納得いかないとこで、諦めがつかないとこである。
どうして?どうして?どうして?と。。。
そして、言い知れぬほどの悔しさ、後悔と。。。
簡単に思って簡単に手術を受けさせてしまったことが。。。悔やまれて仕方ない。
生きるためにしたことが、かえって命を縮めてしまったなんて。。。
手術をしていなければ、まだ生きていただろう。
転移はしてたかもしれない。
でも、生きていたに違いない。
何度も肺癌になった時点で初期であろうが終わってると言い聞かせてきたが、
1年しか生きれなかったなら、手術をせずに症状がでるまでの間だけでも、もう少し長く好きに生きていれたのではなかろうか?
そう思えて仕方がない。
だから悔やんで仕方ないし、悔しい。
1年で死ぬぐらいだったら、一層のこと手遅れですって言われた方が、まだ諦めがついた。
初期で見つかって不幸中の幸いと胸を撫で下ろしたが、こんな結末になるくらいなら
末期で見つかった方がまだ諦められたかも?
それはそれで悲しいことかもしれないが、でも何のために?初期で見つかって何で死ぬわけ?
1年で死ぬぐらいなら初期も末期もないやん!って!
そこ!やっぱりそこ!
私が悔しくて悲しくて発狂しそうになるのは、そこの部分が納得できず、諦められないから。
本当に悔しい。
こんなにも早く亡くすなんて。。。
写真を見つめると込み上げてくる悲しさ、寂しさ、悔しさ。
本当に辛い。
いくら思ってみても帰ってこない。
いくら泣いても帰ってこない。
過ぎ去ったことは二度と戻ってこない。
1分1秒、過ぎた景色は戻ってこない。
1分1秒たりとも戻れない。
本当に悲しすぎる。
この思い、この先どう取り扱ったらいいのやら?
お父さん、寂しいよ。
お父さん、会いたいよ。