親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

母とは

私にとって母とは?


そう、私にとって母とは時には遊び友達。


時には、親友。


時には、子供。


時には、母親。


良き理解者とは決して言えないが、何だかんだと言っても最終的には絶対味方。


この世を的に回しても味方でいてくれるはずだ。


結構、口うるさい母だったので決して良き理解者とは言い難かったけど、

そんな母もこの1年は認知のせいか何も一切言わなかった。


今思えば何処へ行くのも一緒だった。


私は、結構ひとりで行動するのが苦手だったので、

よく着いてきてもらってた。


自身の病院も。


割りと体が弱いとは思わないのだが、よく病院通いをする。


母曰く、生まれたときから病院通いだったと。


小児喘息で3歳までずっと病院へ連れて行ってたらしい。


そういえば、大きな恐ろしい注射をお尻に打たれて泣きわめいてた記憶が微かにある。


それでか?未だに注射は怖い。


と話はそれたが診察があると「着いてきて!」と言っては、着いてきてもらってた。


元気な時も介護状態になった時も。


まぁー、要するに母も暇で外へ出たいから着いてくるのだがー。


直近では、シルバーカーの上げ下ろしとかも面倒臭く1人で行くほうが楽なのだが、

すぐに「着いて行ったろか?」っと聞いてくる。


断るのも何だから「うん」と返事をするのだがー。


それも、もう1人で行かなきゃならない。


今になると、それも有り難かったかもだ。


1人は寂しい。


母がよく1人で食べるご飯は美味しくないと言っていた。


その頃はそれ程感じてなかったが、最近それがよくわかる。


確かに美味しくない。


母が居なくなってから強烈に感じる。


食欲もないし食べたくないので余計なのだろうが。


食料品の買い出しもドラッグストアも病院も温泉も、

その辺ブラブラするのも一緒だったのにひとりぼっちになっちゃった。


寂しすぎる。


『当たり前が当たり前でなくなった時、

その当たり前に感謝する。』


これは、阪神淡路大震災の時の教訓だ。


学習していたはずなのに忘れてた。


お母さんが居てくれてること、当たり前になっていた。


居なくなって介護ストレスでイラついてた自分にすごく反省。


本当にごめんなさい。


今更、謝っても届かないのにね。


もっと大事にしてあげとけばよかったよ。

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