隣に
いつも隣に母がいた。
平成23年1月28日、午前10時頃に心筋梗塞で倒れた母。
それから亡くなるまで、ずっと介護生活を過ごしてきた。
最初は入院してる間、毎日病院へ通いICUにいる時は、清拭、ベット上の洗髪、更衣、排泄など身の回りのことをしていた。
その後、一般病棟へ移動した後も毎日通った。
認知症の発症を恐れていたのもあって。
お茶、出納に熱湯、寝る前のハーブティーを作る。
食事の間の見守り、下善後口腔ケア、寝る支度を完了して帰る。
退院後も予約診で車で通院介助。
退院後間もなく足裏、指先にチアノーゼが出だして下肢動脈硬化症と診断され、プレドニンの大量投与が始まり、
そして血流の改善を目的とした点滴も始まって2ヶ月間診察とは別に毎日月曜日から日曜日、休む日もなく点滴に通った。
雨の日も台風の日も。
あれは、流石にきつかった。
1日も休みがなかったから。
しかしながら、徐々に足先が壊死し始め、最悪切断の危機もあり得るとのことで、
国立病院へ入院し治療が始まった。
その病院も往復3時間半から4時間弱かかったが毎日通った。
丁度、11月で帰る頃は真っ暗で2時間弱の道のりは心がへこんだ。
でも、治療の甲斐あってなんとか足の切断は間逃れた。
そして退院後、今度は股関節が痛いと言い出し受診するとプレドニンの副作用と血流が悪いのとで、次は大腿骨頭壊死と診断された。
肺気腫の疑いもありエコーを撮って胃に腫瘍が出来てることも発覚した。
これは体の状況もあり、造影剤検査が出来ないため経過観察となっていた。
次から次と病魔に襲われた。
そして、最後に前頭側頭葉認知症とー。
{あっ、父の入院介護生活中に腰椎圧迫骨折もしダブル介護で大変な時期もあった。
父が肺癌で最後の5ヶ月間は寝たきりだったのでほぼ全て私が介護をしていた}
そして、気がつけばこの9年間の間に受診する科は、循環器、整形、形成、股関節科、神経内科、眼科、消化器と通院の嵐になっていた。
段々に出来てることが出来なくなって。買い物、通院同行。
入出金処理。
食事の用意。
お風呂一部介助の見守り。
そう言えば、父が病気になる前までは、リハビリで週2回通院して週2回スイミングで水中ウォーキングへも連れて行ってた。
それだけでも週4のリハビリ同行。
思い出したらきりがない。
たいしたことはしてきてないようだが、かなりの時間は費やしてきた気がする。
振り返るとー。
1年間、父との介護がダブっていた時期がちょっとしんどかったかな。
精神的にも。
父の病院で水分補給から始まって、排泄介助、食事の一部介助、服薬、口腔ケア、顔手の清拭、寝る用意してから病院を出る。
そして買い物して母の家へ行き、食事の用意、洗濯、食事の後片付け、そして帰宅とかなりハードだった。
自宅へ帰ると23時前ぐらいになってたかな。
そして、翌日また父の病院へとループ。
そんな生活を送り、この1年は母のために家を買い、週の半分は一緒に暮らして気がつけばいつも隣に母がいた。
あいの日もできる限りのお出かけも予定した。
美味しいものを食べさせてあげたい、楽しい思いをさせてあげたいという気持ちからー。
そうやって母の面倒を見てきたつもりだったが、死んで居なくなってから気づいたことがある。
そう、私が母の面倒を見ていたのではなく、母がいつも私の隣に居てくれてたのだ。
それがどれ程かけがえのないものだったのかー。
どれ程、幸せなことだったのかー。
今頃、気づくなんてー。
でも、そんな母はもう居ない。