親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

最後のご飯

4月25日、土曜日夕方、

母は自宅で転倒した。


救急車で運ばれそのまま入院した。


夜遅くに病院から母の家へ戻り、入院の用意と冷蔵庫をチェックした。


とりあえず暫くは帰ってこれないから、冷凍で日持ちするものは冷凍庫へ。


けれども、それも意味がなくなった。


翌日あっけなく死んでしまった。


それから家財などの片付けまで置いておいた冷凍庫に入れていたご飯のタッパー。


お茶碗に2杯分くらいあるだろうか?


三分の一は食べられていた。


恐らく事故をする前に炊いていたんだろう。


それを土日で食べる予定だったと思う。


冷蔵庫に入れてあった。


それを冷凍庫に入れていたのだ。


私はそのご飯を捨てることができなかった。


勿体ないのと母が最後に炊いたご飯だと思うと食べたかった。


だから遺品整理屋さんが来た日の翌日に、

最後の荷物と冷蔵庫に残してあったわずかな調味料と冷凍してたご飯を持ち帰った。


たかがご飯だ。


だけどそれがとても愛おしく思えた。


3ヶ月ほど前のご飯だ。


冷凍してたから全くどうもなってなかった。


そのご飯を昨日焼き飯にして食べた。


はじめにレンジでチンした。


熱々になった。


焼き飯にする前にふぅーふぅーして一口食べた。


美味しかった。


今までに食べたことがないくらい美味しく感じた。


お母さんが最後に炊いたご飯だから?


2口食べてそのまま焼き飯に投入。


そして出来上がった焼き飯を食べた。


とても美味しかった。


お母さんが最後に炊いたご飯で作った焼き飯。


感謝して味わって食べた。


遺影の母に「有り難う、お母さん。

お母さんが最後に炊いたご飯、食べたよ。美味しかったよ。ご馳走さま。」


そう言って涙がこぼれた。


これが本当にお母さんが最後に炊いたご飯なんだと実感してー。


もう2度とお母さんの炊いたご飯は食べれないんだと実感してー。


なんで?今まで何にも思わず当たり前に思って食べてたご飯なのに。


なんで死んでしまった後に残ったご飯がこんなにも重いの?


たかがご飯なのに。


普通のご飯なのに。


その何の変哲もないご飯が眩しいほど真っ白に見えて輝いて見えた。


今までに食べたことがないくらい美味しいご飯に感じた。


お母さんの炊いた最後のご飯。

×

非ログインユーザーとして返信する