親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

唯一の癒し

何をする気も、何をしたいとも思わなくなったが、

唯一、心和む一時がある。


クラッシックを聞きながらゲームをすること。


LINEのブラウンファームにハマってる?


ツムツムとブラウンファームをしている。


最近、このブラウンファームをやりだした。


元々、クラッシックは好きだったが、何日か前に『ランダムキューブ』というものを買ってもらった。



111曲?のクラシック曲が入ってて目覚まし、アラーム、カウントダウン、

そして音楽も聞けるというものだ。


昔、アルファーキュービックが流行ったことがあったが、

まさしくあの形で、ひと回りかふた回り大きくした物だ。


それを横に置いてクラッシックをかけながらゲームをする。


一時の癒しの時間。


心穏やかになり、唯一頭の中が真っ白になる瞬間。


唯一、悲しみや苦しみから解放される一時である。



小さなこと。ちっぽけなこと。


そんな些細なことしか今は、出来ない。


そんな些細なことでしか脳波を止めれない。


でも、それでもいい。


心が解放され、癒されるなら大いに結構。


リラックスする時間もなかったから。


常に緊張と不安、そして恐怖の5年と8カ月。


最初に母が倒れてからが親の介護の始まりだ。


そして、不安と恐怖の連続の始まり。


常にストレスと重圧感に押し迫られてきた気がする。


妹は、父が死ぬ何日か前に再婚をし、死んですぐに私と母を残し市外へ引っ越した。


そしてなんの援助もない。


全て私に押し付けて。。。



近くに居たときも98%何もしてくれなかったが。。。



私ひとりで抱え込んでるから、余計にしんどいんだろうなーと。



まぁーいいか。


こんなにもクラッシックを聞いて心解き放たれることがあるのなら、それも救いだー。


小さな癒し。

親の死に目

今まで、親の死に目には絶対に会いたいと思ってきた。


でも、現実に看とりを体験して思った。


今もトラウマのように脳裏から焼き付いて離れない。


死んでいく父を見て。


まるで魚がアプアプしているような呼吸。


所謂、下顎呼吸、喘ぎ呼吸ともいうのだろうか。。。


半開きの目は最早見えていない。


するといきなり呼吸が静かになり、酸素の値も70~60あったのが、

みるみる間に50~40、そして30~20に。。。


そして20.10...0と行ったり来たり。




するといきなり心電図が乱れ、血圧上200を越えたかと思うと急下降。


そして心電図のモニターは、緩やかな波。


そして、直線になりモニター0。


たった1時間半足らずの出来事。


私は、一生忘れない。いや、忘れられない。


確かに看取った。


この世から離れていく父の手を握りしめながら看取った。


それでよかったのだろう。


でも、相反する気持ちが私を苦しめる。


見ない方がよかったのかもしれないと。


息を引き取った後で対面したほうが苦しまなくてよかったのでは?と。



でも、一人で逝かせなくはなかった。


でも、死んでいく父の姿を見ることによって強烈にショックを受けた。



苦しい。


本当に悲しい。


本当に辛い。




この世から旅立つ父を見てしまい、PTSDになってしまってる気がする。


辛い。


こんなにも親の死は、辛いものなのか?


毎日毎日、思いは募り胸が苦しい。




今朝、夢を見た。、


夢の中でも父は病院のべッドで寝ていた。


それも、ベッド柵はなく体が3分の1ほど落ちかけていて今にもベッドから落ちそうだった。


私は慌ててお姫様抱っこのように肩と膝下あたりに両手を入れてベッドの中央に体を戻した。



すると目を覚ました父。


なにも言わなかった。



持った体は、とても軽かった。


びっくりするぐらい軽くなってた。


(実際、年を取って身長が縮んだと言っても173くらいあって、

体重も手術前は63キロくらいあった。


それが、去年の暮れには42キロって師長が言ってた。


でも、夢の中では更に軽くなってた。)




そして場面が変わり、誰かはわからなかったが、多分主治医だろう。


熱海に転医さすと言う。


えっ?なんで?そんなに遠くに?


すかさず言った。


「せめて遠くになっても最低週に2回は面会へ行きたいんですけど!」って!


そして師長が登場。


そのことを話すと、


「え?なんでそんなこと言うたんやろ?


あっ、そうか!


死ぬってわかったら遠くへ移すんや!


毎日、会ってたら死んだとき辛いから、遠くに離れてたら会えなくなって、

会えない間に死んだほうが辛くなくて済むからやわ」と。。。


「だから死ぬってわかった患者さんは遠くの病院へ移すんやわ」とー。



意味不明な説明に戸惑ったところで夢は終わった。



今日1日、何だかそんな変な悲しい夢を見て心はブルー。


夢の中でも父は死んでいくんだー。



夢の中でも消えかけてた父。




なんで死ぬんよ!お父さん!


会いたい。お父さんに会いたい!

バラバラ

一杯やりたいことあるのに。。。



片付け、パン作り、お菓子作りにお料理と


色々やりたいことが山のようにあるのに!


なのに一向に何も出来ないでいる。


思いはあっても体が心がついてこない。


思考回路もバラバラ。


私と言う人間のプログラムがショートしてバラバラになったままでいる。


修理をしなけりゃ使い物にならない!


けれど修理に出す暇もない!


思いと思考と体力、感情と理性、どれも一貫性が保ててない!


どれも、バラバラ(;-;)



いったい、いつになれな正常に動きだせるんだろう?


毎日毎日、母の所へ行き晩ごはんを作り一緒に食べて。。。


後片付けをし、母がお風呂に入って寝る寸前までいてる私。


それから帰宅してお花に水やりして、わんこにご飯あげて。。。


洗濯して、お風呂に入って、干して、歯磨きして、髪の毛乾かして。。。


ごそごそしてて、スマホのチェックしてゲームして。。。


寝るのは朝方だ。。。


ゲーム。(スマホの)

唯一、してるときが無になれるとき。


頭空っぽでいられるとき。



何をやってんだか。。。



何となく微妙に壊れていく自分が見える。


半年近くになりかけてるのに、一向に父への思いは枯れることもなく。


生前の父の姿や会話、声、脳裏に焼き付いている記憶が甦る度に泣けてくる。


確実にいなくなってしまった父を追い求めている。


無念さがそうさすのか?


でも、写真を見たとき何故か距離を感じ始めている。


今にも飛び出てきそうなリアルな感触が、今は写真として見れている。


こうやって時の経過と共に薄れていくのだろうか?

いや。受け入れていってしまうのだろうか?


死というものを。。。


何だか微妙で複雑。



でも、父のいない毎日は強烈に苦しくて辛い。





病院のベットでいつも寝ていた。


私達が来るのを待っていたんだろうか?


10月28日に再び入院してから、命の炎は消えかけていたのだ。


年単位でなかった。


月単位だった。



まるで、末期の癌患者みたいに。。。


肺炎。不整脈。術後の合併症だな多分。


これで、命を落とすとは。。。




一緒に過ごせる時間がわずかしか残っていなかったと言うのに、


もっと長く病院にいてればよかった。


もっと色んな話をすればよかった。


もっと色んなことを聞けばよかった。


お父さんは、病院のベッドの上で死ぬのを待ったされていたんだ。きっとー。


結果的にそうなった。


お父さんは、数ヶ月しか残っていない人生の時間を病院のベッド上で過ごしていたんだ。


なんてバカな私!


そんな大切な貴重な父との共有できる時間を見過ごしていたなんてー!


まだその時は、そこにお父さんがいたんだ!


お父さんは、そこで待っててくれてたんだよ!



なのにー。


夕方から3時間から3時間半ほどしかいてなかった。


お父さんが、そこにいてくれてたのに!


ごめんよ。お父さん。


無駄にしてしまったよ。


お父さんとの時間ー。


折角、そこに居てくれてたのに。。。


なのに今は、どこを探してもいないー。