親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

駄目だ


父がいなくなってから失意と悲しみのどん底に落ちて、

何とか這い上がれるかと耐えてきたが中々這い上がれずにいてる。


あれこれ買い物もしてみた。


大好きな食器や調理道具。


ティファールのcook4meのお鍋等々。


あんなの作ってこの器に盛り付けてとイメージしながら買い物してきたがダメだ。


自分に生き甲斐を与えるためにあれこれ買い与えてみたけど、

頭の中は父が息を引き取る前後の光景が頭から離れない。


父の元へ手を繋いで旅立てるならこの世に未練などもうない。


父と一緒に行けるならこの世から消えてもいいとさえ思う。


でも現実にはあり得ないことだと思っている。


この世から消えても父の元などへは行けない。


無の世界が待ってるだけ。


脳も細胞もみな死滅して感情も痛みも何もない、感じない。


それが死だと私は思っているので、あの世へ旅立てば、父に会えるなんて思ってもいない。現実的には。。。



でも、あり得ないことでも仏法で言われる魂は永遠だと言うならば、それが事実なら私は父の元へ行きたい。


追いかけて手を繋いで見守っていたい。


それほど深く家族の絆を感じている。


私のところは、四人家族。


小さい頃、自分の家族を見て私も大きくなったらお嫁さんになってこんな家族を作りないなーってよく思った。


笑いと笑顔が絶えなかったような。


いつも四人で晩ごはん食べてたような。


今考えると仲良かったんだなーって。


まぁー、私が思春期でしくじるまでの話だが。。。


父もいなくなって、妹も今週土曜日に引っ越しだ。


生まれて初めての市外へ出てしまう。


母と二人になる。


四人家族だったのにひとり欠けふたり欠けと減っていく。


母までもいなくなったらどうしよう?


耐えていけれるだろうか?


今、もし片足で立ててるならば、母がいなくなった時、もう一本の片足も折れるだろう。


そんな気がする。


買い物が唯一のストレス解消、モチベーションを上げる方法なのに、

それすらも効果がない。


病院で過ごした父との時間が走馬灯のようにぐるぐるぐるぐると駆け巡る。


お父さんに本当にもう会えないの?


最早、体はここにあっても心ここにあらずだな。


私、生きてるのかな?


なんかわからなくなってくる。


こんな中途半端な状態で毎日毎日時間だけが過ぎていくー。

四十九日

4月29日、四十九日の法要を向かえた。


5月に入ると3ヶ月をまたぐからと早めた。


早かった。


四十九日で、あの世へ旅立つと聞いていたが、

お坊さん曰く、百ヵ日まで家にいてるとのこと。


本当だったら嬉しいけどね。


でも、そういうことにしておこう。


少しは気持ちも救われる。


お経を唱えてる間、また病院でのことや最期を向かえたときのことや

思い出して泣けてきた。


本当に未だ信じられない。


でも少しづつ微妙に、その場所から動き出せてる?感じがする。


寝具もその日を境に処分した。


ずっと部屋にそのまま置いていたが、バジャマも全て片付けた。


なんだか寂しいような複雑な気分だ。


でもこれでひとつの区切りがついた気がする。


体はないけど、心の中で生きている。


写真を見ると今にも動いて喋りだしそう。


少しづつ少しづつ思い出変わっていくのかな?


まだまだ心の中、辛いけど悲しいけど。


もう二度と私が生きてる間、会えないけど。


受け入れるしかないんだろうね。


でも、出来ることなら会いたいよ。


お父さん、今どこにいるの?

いつまで続くのかな?


2、3日、相続のやり取りでストレスを感じて泣かなかった。


で、もう大丈夫かな?と思ったけど大丈夫じゃないね。


やっぱり、お父さんのことが頭から離れなくて写真見ては泣く。


心に頭に父のことが焼き付いて離れない。


会いたい。


なんで死んだん?と何度も何度も声に出して問いかける。


あのとき手術をしてなければ。。。とか

あのとき、こうしとけば?とか今更思っても仕方ないとわかっていても

ぐるぐるぐるぐる。。。


お父さん、死んだ。


まだ受け入れられない。


お父さん、あの日はまだ寒かったね。


でも、もう暑くなったきたよ。


もうすぐ夏がくるよ。