親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

後悔ばかりが残る!

私の選択は間違っていたのか?


平成27年3月10日、父は運命を変てしまう肺癌の手術、左上葉切除を受けた。


生きるために。。。


ステージ1aだった。


初期も初期。


取り除けば完治と医者に言われた。



重度の肺気腫の持病。


81才という高齢。


このふたつのリスクが最後の最後まで心配でならなかった。


何度も呼吸器内科の先生に聞いた。


本当に大丈夫なのか?と。


「6分間歩行テストもまあまあ大丈夫だし、呼吸器外科の先生もこれならいけるだろうと判断して手術を奨めてるから大丈夫やろ。」と。呼吸器内科の先生。


信じた。その言葉をー。



だが、結果は違った。


術後、すぐに心不全の合併症。


肺機能の低下により鼻カニューラによる酸素使用。


目まぐるしくみるみる間にレベルの低下に陥った。


退院しても数日間で、ほぼこの一年間、入院していた。


最後の5ヶ月間は、完全寝たきりになった。


心臓にかかる負担と動かすと一気に低酸素となり血圧も下がる。


なのでベットアップしか出来なかった。


少しでも長生きできるように手術したのに。


しんどくても父は頑張ったのに。


寝たきりになるまでは、リハビリ頑張って歩けるように頑張ったのに。


食べたくなくても嫌々でも頑張って食べたのに!


なんで?なんで?


お父さんは、自分の為に、皆の為に頑張ったんだ!


生きようと!


少しでも生きたいと!


だから、頑張ってきたんだよ!



なのに報われることなく逝ってしまった。




何故?


手術をしたから命を縮めたんだよ。


生きるためにした手術が、反って寿命を縮めてしまったんだよ。


私はそう思ってる。



あの時、下した決断、父にも意思を聞かすに私の一存で、医者の言葉を信じて、

そして父に手術を受けさせた。


そして、1年と1週間で死んだ。


手術して。


たった1年と1週間で。。。



私が父の寿命を縮めたんだと思えて仕方ない。


もし、手術をしていなければどうなった?


まだ生きてるだろう。


転移してるかな?


それとも年齢的に停滞中だったかな?


もし、手術をせず、放射線治療してたらどうなってたんだろう?


癌細胞は、散って消滅してたんだろうか?


それとも再発して、もっと苦しい目に合ってたんだろうか?


どうなってたんだろう?


そんなことばかりが頭をよぎる。


毎日毎日、自問自答の毎日だ。


写真を見ては涙が出て、自分が殺してしまったように思えて苦しくて悲しい。


あの時の選択、間違っていたのか?


あの時の選択、やはり正解だったのか?


あの時の選択ー。


何度思って考えてもあの日に戻らない。


戻れるものなら戻りたい!


戻れるなら血眼になって調べて病院も探して最善の選択をする!


後悔。後悔だけが胸を刺す。


あの時、手術をしていなければ今生きているだろう。


写真の父を見ていると今にも動き出しそう。


本当に時間が経てば経つほど父のいない現実が、

現実のものとなり身を引き裂かれる思いだ。



現実を受け入れられなく、信じられなく苦しい思いだけが胸に残る。

お父さん



月曜日から衣替えと断捨離中。


去年1年間、家の事は何もできてないから大変なことになっている!


その中、父の遺品が袋一杯にある。


病院で使ってたアイスノンを巻くタオル、


まだ寒かったから布団の上に掛けるフリース地の毛布、


膝掛け、ストール、うがい用のコップ、


父の日にプレゼントした腕時計、


最後となる入浴で使っていたボディータオル、入浴には必ず持って入る頭髪用のブラシ、


そして、亡くなるときに着ていた肌着にパジャマ。。。




みんな、そのまま。


病院から持って帰ってきてそのまま置いてる。


その遺品たちを見て思う。


なんで?なんで?パジャマもある、毛布もそのままあるのになんでお父さんはいないの?


なんで?


いつも不思議に思う。


父の使っていた物たちは、目の前にある。


存在するのに、何故父の姿はない?


この違和感にいつも寂しさ、悲しさを覚える。


もう死ぬまで、いや死んでも2度と会うことも、見ることも、触れることも、話すことも出来ない。



2度とない。2度と。。。


どれだけ願っても、どれだけの大金を積み上げようとも、何をどの様にしようとも、

2度と会えない。


日が経つにつれ段々遠くなる。


父への感触。


お父さん、会いたいよ。。。

寂しすぎる!



今日、何気に本棚に飾ってあった

去年、病院で写したクリスマスと父のお誕生日の家族写真を見て、

また号泣してしまった!


父の誕生日は、年末でクリスマスと数日間しか離れていない。


何にも計画してなくて、まぁーそんな余裕なんて頭の中もなかったけど、

いつもコンビニへアイスクリームを買いに行っていたので、

たまたまクリスマスケーキを見て、とっさにこれが最後のクリスマスになるだろと思いケーキを買った。


そして、写メを撮ったのだ。


やっぱり最後のクリスマスだった。

そして最後のお誕生日だった。


写真のお父さん、笑ってる。


これが最後になるとは思ってなかっただろう。


一度だけ、去年の11月にも危なくて個室に入ったとき、

「もう、わしあかんわ。」って何度か言ってた。


でも、回復して大部屋へ戻ってきてしばらく落ち着いて過ごせてたから

その時もまさかこれで終わりになるとは思っていなかっただろう。


写真は、生きてる。


でも、体はこの世にいない。


何度も何度も写真を見るが、まさか死んでしまったなんて思えない。


未だに信じられない。


金曜日は、実家で遺骨を抱き締めて泣いた。



日が経つにつれ、胸の傷口は痛む一方。


毎日、起きて眠りにつくまで頭の中は、父のことで一杯だ。


病院生活で父と関わった思い出で一杯だ。


楽しいことも日常生活の中、確かにある。


でも、またすぐ悲しみの渦に戻ってしまう。


日が経つにつれ父のことが愛しくて愛しくてたまらない。


そして、思い出しては泣いてしまう。


いったいいつになれば、和らぐんだろう?