親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

なんだかな。。。

今週月曜日から酸素も1リットルになり、火曜日あたりから酸素も外れた。


肺の水もなくなり炎症反応も正常に戻ったとのこと。


ただ好酸球の数値が上がって、再びプレドニンを飲まなければならないような感じ。


もう少し様子を見て考えたいとのこと。


大腿骨頭壊死があるので、出来れば使ってほしくはない。


落ち着いていたはずの容態が、じわじわ崩れ初めているのか?


入院もまだかかりそうだ。


不安で仕方がない。


それと裏腹に、毎日の往復車で2時間の道のりの病院通いも疲れ始めた。


行けない日は、週末帰ってくることのある旦那様の食事など、家の用事でバタバタ。


泊まりならまだしも余裕も持てるが、その日帰りのその日の夜にまた出ていくというパターンは疲れる。


半日、食堂のおばさん状態になる。


なので、実質休みなどない。


たまには、ゆっくりなにも考えず引きこもりたい。


でも、行かなきゃ「来ないの?来てくれないの?」の連打のメール。


母も不安になってるみたい。


父と同じ点滴や、酸素、服薬なども同種類のものがいくつか出ている。


年も年だから、父が迎えに来ているとすぐ口にする。


そんなことを聞くたびに、また強迫観念にとらわれ、毎日通いづめになっている。


そして、疲れ始める。。。


なんだかなー。


もっと強い心が欲しい。


ノーと言える勇気、もっと持たなきゃつぶれる。


わかっているけど、言えない自分がいる。


そしてまた、父の病院通いと重なり帰り道苦しくて辛くて寂しくて涙がこぼれる。


父は、本当に何も望まなかった。


ただ、ひたすら黙って1日1日をベットで過ごしていた。


今思うと、もっと我が儘言ってくれててもよかったのにと思う。


母もそうだろうなー。


今は、しんどい、あーもう嫌!なんて思うけど、

いなくなったあと、その事がどれほど愛しいことだったか思い知らされるのだろう。



本当に、人間の生涯とは残酷なものとだと親を亡くしてつくづく思う。


こんなにも辛くて悲しい思いをしなければならないなんて。。。


父の場合は、おそらく特別なのかもしれない。


私にとって。。。

やっぱり。。。

昨日、妹が見舞いへ行くとのことで、家のことをしようと思い行くのを止めた。


だが、夕方17時過ぎに妹からライン。


「ご飯いらんて言うてる。」と。


その前に「ご飯終わるまでおってほしいと言われたから我が儘言うなら、もう来ない、って言うたらしぶしぶうがいを始めた。」ってラインが入る。


え?こんな時間から口腔ケアして、もう寝かされるの?ご飯も食べずに?って。


思わず頭の中で想像してみたら、居てもたってもいられず、

掃除を中断し、着替えて飛び出た。


もう6時前。着くのは7時頃になる。


何か食べるものを買っていってあげないとお腹空かしてるかも?。。。


そして、暖かいお弁当のほうがいいだろうとお弁当屋さんに立ち寄った。


その時、食膳の写メ。


副菜二品食べただけだった。


なんだ、いたのか、食べたのか?

なら行く必要なかったやん。とふっと思った。


でも、出る前にも母から胃がまた痛くなったとメールもきてたし。。。


とりあえず、お弁当注文したし、出てきたし行こうと急いで病院へ行った。



病室を覗くと来ないと思っていたから、一瞬キョトンとしていた。


そして、現状が理解できたか、「来てくれたん?」っと半泣き顔で嬉しそうに言ってくれた。


私も来てよかったと安堵した。



我が儘を言って、かなり妹にきつくあたられたのだろうか?


「歯も磨いて寝る用意したなら来なくてよかったね。」と言うと


「顔見たら、ホッとするやん」と珍しいことを言った母。



50分ほどしか居れなかったけど、母は、胃がまだ痛いと言うのでお弁当は朝に食べたら?と言い私は、一人で食べた。



こんなやり取りで、お昼頃ブルーな気分もふっ飛んだ。



行く道中、ふっと考えた。


妹は、私が居なくなってから、ひとりで両親のことを見ていてくれたんだ。って。


両親の期待を私の分まで抱え込んで好きにできず、言いなりになってきた。


そして、結婚して親からやっと離れられ自由を勝ち取った。


親に対しても、早くに親元を離れたんだから妹に目がいっても不思議でない。


そう考えると私の独りよがりなのかな?と、ふっと思った。


そう考えると妹にも親にも申し訳ないと思った。



大人になりきれてない自分か時々嫌になる。


もういい年なのにねー。全く(´~`)

ブルーな気分

今日は、久しぶりに妹がお見舞いへ行くとのことで、

私は、行くのを止めた。


本来なら行ってるところだが。。。


どうやら、心は鬱気味だな。


なんでだろう?


考えた。


きっと、妹が久しぶりに見舞いへ行くからだろう。


それがなんでこんな気分に?



考えて気づいた。


嫉妬だ。


私が、どれだけ尽くして、自分の時間を費やして、どれだけ頑張っても妹には勝てない。


父も母もそう。


いつも見ているのは妹だった。


17才の夏以降はー。


それまでは、少なくとも母は、私を見ていてくれたはず。


なのに、あの夏の日から、両親の愛は妹ひとりに注がれた。


私は、ずっと茅の外。


その疎外感を打ち砕いてしまいたく、かなりの無理をして親の為に尽くしてきた気がする。


今更ながらだが、そこに気付きブルーになる。


あらかたわかっていて、その劣等感やネガティブな自分を変えたく

色んなセミナーや心理学を勉強した。


お陰で、大分変われたはずだが、やはり何かがあると、そんな嫌な自分が顔を出す。


毎日、病院へ行って身の回りの世話をして往復車で2時間かけて帰ってくるが、

そんな私の見舞いより入院してから5回程しか来ない妹の見舞いのほうが嬉しいのだ。


案の定、メールもこない。


行かないと言うと、いつもは駄々をこねるが、今日はあっさりニコニコマーク。


益々、嫌になる。


こんなことでブルーになる自分も嫌だが、どうしていいかわからない。


自分の感情を持て遊んでしまう。


要するに、一生懸命に尽くすのは、振り向いてほしいから、認めてほしいから、愛されたいから、利用でなく必要とされたいから、見てほしいから?


このテーマーは17才の夏から始まるのだ。


たった、ひとつのつまずきから心に大きな穴があき、埋めても埋めても埋め尽くされない傷がある。


その傷があるために、こんなに卑屈になる自分が心の隅に隠れてる。


傷などとうに消え果ててると思ってきたが、親の介護が始まって、

再認識させられた。


いくら頑張ってみても、何もしないでいる妹を、親は喜ぶ。求めている。


過去の記事にも書いたが、父の認知予防で入院中に宿題と称して問題を出していた。


計算問題などを。


それをしとくようにと言っていたが、していなかった。


そして、妹が来た時に妹がさせた。


全問正解だった。


すると母がすかさず、毎日通って下の世話までしている私の前で、

「やっぱり、○○がおらんとあかんなー!」って笑顔で言った。

(○○は妹のこと)


妹は、顔をひきつらせながら、「毎日来てる△△に失礼やろ」っと言った。

(△△は私のこと)


妹は、私のことをアダ名で呼ぶ。


この時も、さすがに私も顔がピクッとなった。


無神経な母。


いったい私はなに?


そんなに妹がいいなら妹に面倒みてもらえ!と何度言ったことか。。。


その度に、言った自分も嫌になり傷つく。


この部分のボタンに触れると鬱気味になる。




7才離れているが妹のほうが権限強し。


やってることは、長女なのだが。。。


何だか損な役割。



心の中の子供の自分が泣きべそをかく。


嫌な感じ。。。




今日のブログは、独り言だな。全く。。。