親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

1月19日の母

今日やっと点滴が外れた。


酸素も3リットルだが、週明けから様子を見ながら離していくとのこと。


高熱の原因は、はっきりしない。


何らかの細菌性のもので炎症反応が上がって熱が出たのだろうとあやふやな返答だった。


急な高熱、カロナール200で解熱し、それ以来平熱。


しかし、不定期に熱発している。


尿検査をしたのかと訊ねたが、していないとのこと。


腎盂炎、尿路感染とかの心配は?と聞くと年だから仕方ないと。。。


?よく理解ができない。


全て高齢ということで片付けてもらったら困るのだが。。。家族としてはー。


と、今日は、主治医とこんなやり取りをした。




そして、点滴も外れたことで夕方、コーヒールームへ車イスで行った。


久しぶりにベットから解放されて笑顔も見られる。


このまま早くよくなって退院できればいいのだが。。。


そして、夕食時間になり食事を始めだした途端、胃が痛いと訴えながらベットへ倒れかかった。


普通の胃の痛みと違うような感じの様子だ。


直ちにナースへ報告。


担当医は、もう帰ってしまったので、当直のドクターへ胃薬を処方してもらうとのこと。


そうのこうのしている内に、やや転げ回るような表情になる。


すぐにナースへバイタルチェックを頼んだ。


夕食時で忙しいのは、わかる。


しかしだ、見てわからないか?


普通の胃痛かどうか?


言わないとチェックしない。


案の定、上156 下91。


いつもは、心機能が悪くなってから上が100前後しかないのだ。


胃壁にジスト?かも知れない腫瘍が2センチの物がある。


それと関係があるのか?


些か不安がよぎるが、痛み止と胃薬を飲んで様子をみるとのことで、

面会時間もタイムリミット近くになり、気になりながらも後にする。




いつも、帰り際に手を握る。


しかし、右手でしない。


左手だ。


しかも、握手ではなくタッチをするのだ。


右手で手を握るのは怖い。


父とのことを鮮明に思い出すのだ。


明日も必ずある。明日も絶対会えるよね?って心の中で叫んで祈るような思いで帰っていった。


固く握り合う手、アイコンタクト。


思い出すのだ。


そして、帰るとき運転しながら涙がこぼれるのだ。


最期になったアイコンタクトの顔が忘れられない。


そして母もその内、居なくなるのであろう。


耐えれるのかな?私。

たった1度のわがまま

いつ頃だったかな?


多分、今頃だっただろうか?


父のたった1度のわがままがあった。


なぜ急にそんなことを思い出すんだろう?


母の入院生活の中でのわがままからかな?



ある日、父の入院していた病院からお昼頃、電話がかかってきた。


看護師曰く、「お父さんが電話してほしいと何度も言うので電話しました。ちょっと来てほしいと言われてます。」


「何かありましたか?」と私。


「別になにもないとは思いますが、とにかく来てほしいみたいです。」と。


その日は、生憎、家の用事で行く予定ではなかったのだ。


でも、そんな電話今までなかったし、

余命も言われてたこともあり、不安になり夕方ごろになると言っていたが、

電話を切ってすぐに用意をして病院へ向かった。


そして、病室へ入って父の顔を見ると目が合った瞬間『ふーんだっ!』みたいに首を横に振り

ふてくさる。


何度、「お父さん、どうしたん?」と聞いても

ふーんだ!の繰り返し!


ムカッときて、「今日は、○○(ご主人)が帰ってくるから家のことせなあかんで忙しいねんよ。わかってる?

用事があるから来てくれって病院から電話があったから、急いで来たのに何よ!その態度!」って、怒った。


そうすると、すぐ機嫌直して、

「夕べ、死によってん!のどに唾が一杯たまって息が出来んようになってなー、それでどうしたらええ?って先生に聞いたらチューインガムがええ、言うからチューインガム買うてきてくれ」って。


私、「。。。」



なんなん?そんなことで呼び出したん?って。


あり得るわけない。


でも念のため、看護師に確認したが、やはりあり得ないとのこと。


やはり認知の仕業?って。


そんなことがあったのだ。1年前くらいの話しになるが、ついこの間のことのように思える。



そんなことを、今日起きてすぐに思い出してしまった。


蓋が無意識に開いてしまった瞬間だった。


起きてすぐに涙がこぼれた。


今、考えると父のわがまま、それだけだった。


わがままって言うのかな?


要求申請?(笑)


たった1度のわがままだったのに、面倒臭そうにあしらって、さっさと帰ったように思える。


強引に「そんなことあり得ないよ。また夢でも見たんやわ。今、先生に確認したけどチューインガムなんか噛んだらあかんって言うてたよ」


なんて適当なことを言ってなだめたなー。


そんなに先があった訳でもないのに、なんでもっとちゃんと話を聞いて

対応しなかったんだろう?


なんで、もっと、ちゃんと優しく安心出来るように手を握ってなだめてあげなかったんだろう?


なんで、もっと。。。


たった1度のわがままだったのに。


私は、たった1度のわがままも優しく受け止めてあげれなかった。


医者から、1月一杯もつかどうかと言われてたが、心のどこがで信じていなかった。


それこそあり得ない!そんなこと。大丈夫!

絶対、死なない!なんて思っていたんだろう。


まだ先がある。先が続く。


そんな根拠のない自信?を信じてその時、その場を大切にしてこなかったような気がする。


振り返ればそう思えて仕方がない。


1分1秒、その瞬間は、2度と来ないのに!


なんで、もっとちゃんとしてあげれなかったんだろう?


悔やんで仕方がない。


いくら悔やんでも悔やんでも、お父さんは帰ってこない。


どれだけ思ってみても何もしてあげれない。


たった1度のわがままだったのに。。。


ごめんね、お父さん。

1月15日の母

昨日、母からメール。


お昼から38℃の熱発とのこと。


うーん、雪が降るって言うてたから行かないでおこうと思ったが、

どうしても気になるので行った。


行っておでこを触ってみたが、37.5前後ありそうな熱さだ。


なんでだろう?


肺炎はよくなってきてるし、胸の雑音も殆どなくなってきたと主治医は言っていたのに。


足も両足痛いと言うし。。。


なんの熱?


気になる。


爆弾を抱えてる体なだけに怖い。


ひとつ、こけたら皆こけた!みたいにドミノ状態にならないだろうか?


高齢者は、急変する。


え?なんで?と思うところから体調崩して取り返しがつかなくなることもある。


点滴も注射液も薬も酸素も父の時と同じだ。


被って仕方ない。


思い出すと辛くなるから蓋をするようにしてきているけど、


母と重なって仕方ない。


何だか母まで急に消えてしまいそうで怖い。


不安な毎日が続く。