親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

疲れる。。。

なんで?


なんで?いつもそうなの?


わがままばっかり。


自我を押し通すことばっかり。


なんで?


なんで?今の現状を理解できないの?


なんで?人のことを考えようとしないの?


なんで?なんで?


本当に疲れる。


死んで無くなってしまいたい。


もう本当に逃げ場がない!


なんとかして!と心が叫んでいる!



9月に母の誕生日があった。


6年弱前に心筋梗塞で倒れて以来、お洒落な杖を3本プレゼントしてきている。


そして、この頃、杖歩行も腰がかなり悪くなり股関節も変形してきてる分、

杖歩行もしんどそうである。


すぐに出掛けていても椅子を見ると座りたがる。


100㍍歩くのもやっと。


スーパーへ行くとカートにもたれ掛かるようにして押して歩く。


だから、今回の誕生日には奮発して椅子つきのシルバーカー、しかもパープルのバラの刺繍ゴブラン織りのお洒落で素敵な物を私なりに選んでプレゼントした。


しかし、あまり嬉しそうではなかった。


どうした?と聞くと「こんなん押して歩くの格好悪い。置くとこもないのに邪魔になる」とボソッと言われた。


悲しかった。


少し前のことである。


そして玄関の下駄箱あたりを片付けて、隙間に入るようにして置き場を確保して帰ってきたのだが、

今日は、消化気内科の受診日で例の胃に腫瘍が見つかった件で、今後の検査の打ち合わせなどをして、その後、買い物をして実家へ例のごとく立ち寄った。


そして帰る際に、明日は訪問介護でヘルプが入り買い物同行があるので押して行くように促してみた。



隙間に入れたままでは使わないと思い、出してすぐに使えるようにセットして帰ろうとすると、

邪魔やのになー、って顔をされた。


確かに父が病院に持っていってたトランクを玄関先にそのままにしてあったので、少し邪魔かも?と思い、それを綺麗に拭いて片付けようとした時、

ブチブチ文句が出だした。


「1年も病院においてあったのに使うの嫌やから捨てる」と。


「はぁ?じゃーまた買うの?今度、検査入院や手術となったらまた入院しないといけないのに荷物何に入れて誰が運ぶの?」と。


私には関係ない。


父の病院に1年置いてたろうがそんなことどうでもいい。


荷物を出来るだけコンパクトにまとめ、荷物を持つということを避けれればそれでいいのだ。


私は、少しでも荷物を持つと極端な肩凝りを起こし、しばらく頭痛が続きかなりきつくなる。


それと、母を手添え介助をするのに両手に荷物を持っては無理。


だからトランクカートなどは必需品となる。


なのに、そんなふざけたことを言って私を困らせる。




そこで、玄関の下駄箱の上にカートを直そうと思い、靴箱をいくつか乗せてあったので、それらをチェックして要らないものは捨てようと整理をし始めた。


そして、この靴ははけるのか?と一応聞きながら間引いていったが、

靴も普通の靴は最早はけないのだ。


心筋梗塞の時に、カテーテルを通した後遺症なのか、元々、下肢閉塞性動脈硬化を患いかけていたのかは定かでないが、

足の指が壊死して切断寸前までいった経緯があり、

形成で靴を作ってもらっているのだ。


なのにだ、心筋梗塞前にはいてた靴をまだはけると言う。


もう普通の靴ははけないのだよ、と何度言っても完全に諦めようとはしない。


そこで、また押し問答。


そして、やっとクリアしたと思い、下駄箱の上に綺麗に拭いてビニール袋に入れたトランクを上にあげた途端、

不満げな顔。


どした?と聞くと「ぶさいくやん」って!


いい加減にしてくれ!


下駄箱の上にトランクを置くと見た目がぶさいくやんって、ほんと疲れる。


誰が見るねん!全く!


もう流石にゲップがでそうなぐらい、もう沢山!って感じ。


9月半ばから、ずっと病院続きで、今日も午前中からの出発で、

ここ何日かずっと帰るのも遅いし午前中からの出発も続き寝るのも3時4時。


ずっと睡眠不足。


明日も用事があり10時半には出かけなければならないのにこの有り様。


これから洗濯を干してお風呂入って。。。



また寝るのが遅くなるというのに。。。



そして、更に聞くところによると、そのトランクは、押し入れの上の戸袋に直していたとのこと。


だから本当はその押し入れの上の戸袋に直して欲しかったんだろう。


しかしながら、私的には戸袋に脚立にのって上げ下げすることはしたくない。


そこで、私は、「これから人にしてもらう生活になってるのにもっと出し入れしやすい負担のかからない収納をしていかないと」と言い聞かせた。



私なり、ヘルパーさんなりにしてもらうということを前提に考えて!と。


重いものを頭より上に上げての出し入れの動作は、脚立にのってはかなりきついししんどい。


そんなこと、お構い無しだ。


いつもそうである。


今まで、自分がしてきたことを人にも求める。


自分でするなら負担なことも好きでするからいいだろう。


しかし、人は出来れば負担の少ない方が有難いに決まってる。


母の我が儘、我の強いところ、本当に全く疲れる。



高齢になると人のことなど考えられなくなるのか?



本当に疲れる。


妹にはそんなことも言わないだろうし、そんな態度も取らないんだろうな?多分。


あるネットに書いていた。


親は、子供を使い分けていると。


可愛がる子供と介護用の子供と。


それに当てはまると私は、まさしく介護用の子供となる。


20才に完璧に独立したからね。


それに比べ妹は、31才まで実家にいた。

そのせいか、両親は妹を目にいれても痛くないほど可愛い。


なのに妹は、何の援助もない。


ムカつく妹に我が儘な母。


疲れる。本当に疲れる。


今となったら父が一番優しくて思いやりがあったのかもしれない。


一番嫌いだった父がー。

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