親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

夢を見た

今朝、父の夢を見た。


お通夜で会場に運び込まれた夢を。


長いテーブルの上にそのまま体を寝かされていた。


運びこまれて寝かされた父の顔を見て、あーと半泣きで声を押し殺し眺めていると、

そうしている間に何やら呼ばれてその場を離れた。


そして、戻ってくると父の両足がテーブルからダラーンと落ちていた。


思わずテーブルから落ちるやん!と言い両足を抱き抱えて元に戻してあげた。


そして、父の手に触ると私の手をギュッと握りしめた!


あの感触が甦った!


いつも病院から帰るとき、「じゃーまた明日ね。おやすみ。」と言って手と手をギュッと握りあってお別れを言って帰るあの瞬間!


ギュッと!握るあの父の手の感触がはっきり伝わってきたのだ。


はっとして、よくよくその手の感触を認識すると温かい!


えっ!?って。思わず顔を見た。


と同時に父の体をさすり始めた。


そして、「ちょっと、来て!お母さん、お母さんと」叫んでいた。


すると、なんと父が「おー」と言いながら目を覚まし起き上がろうとした!


「えっ!お父さん!」と半泣きで体を支えた。


すかさず「お父さん、お帰り!」と言った。


すると笑いながら「おー」と言いながらテーブルから起き上がり座った。


夢はそこで終わった。


万勉の笑みだった。




夢でなければよかったのに。と目覚めて思った。


ブルーになった。


夢だから、尚ブルーになった。


夢で会えた、手の感触を感じれた、そんなことよりも夢だということに悲しさを覚えた。


現実に戻って、あーもういないんだと再認識する一瞬だった。

無気力

肺炎になってまだすっきりしていない。


治りかけているようだけど、完全に治りきるまでに母の病院の通院介助の連日だ。


2週間前、急に右足の指から甲、足首にかけて腫れ上がりチアノーゼが出ていた。


母からメールがきて、電話で詳しく聞くがどうも病院へ行った方が良さげと思い、

しかしながら夜になると38℃以上の熱がでて、

咳き込み、痰がひどくとてもじゃないが車椅子を押して通院介助は無理!


なのでケアマネに連絡をし、ヘルパーに通院介助を依頼した。


その後、報告によると骨には異常ないとのことたが、バイ菌が入ってる感じがするので、

主治医のいる大学病院のへ受診を勧められたとのこと。


夜に電話で詳しく聞くと、足の指全体に紫色とのこと。


えっ?って思わずイメージしてしまった。


もっと詳しく聞こうと思い「巨峰のような色?」と聞くと「そう」と答える母。


ヤバい!とっさに思った。


下肢閉塞性動脈硬化症を患ってる経緯があり、

抹消血管が詰まってるのではないか?と脳裏によぎった。


このまま一晩置くと壊死して最悪切断になったら?と居てもたってもいれなく

熱がありフラフラながら着替えてぶっ飛んで行った。


と、こんな具合で完全に休む暇もなく11月後半から病院の連日。


そのせいか未だにすっきりしていない。


再度、採血、レントゲンが来週の火曜日に予約が入っている。


これで肺炎の影がなくっていれば完治なのだが。


そんな状態でも病院が終わったあと、一緒にご飯を家で食べ帰ってくる。


次の日は、何も予定がない。ならば家でゆっくり寝ようと思っても

すかさず帰り際に「明日来るん?」と聞かれる。


頼むよ。ゆっくり休ませてよと心の声が聞こえてくる。


でも、ノーと言えない私の性格。


疲れる。本当に疲れる。


こんなに依存してくると思ってもみなかった。


こんなに依存する母だとは、今まで気づきもしなかった。


しかし、生きててくれてるからこそ出来ること。


父のように死んでしまっては、何もできなくなる。


そのことが、まるで強迫観念のように自分を縛りつけている感じがする。


でもこれだけは間違いない。


いつか来るであろう永遠の別れのとき、私はまた泣きながら後悔するだろう。


だからしんどくても頑張ろう。


母が喜んでくれて、笑ってくれればそれでいい。


だけど、本当に何も手につかないでいる。


もう、12月に入ったと言うのに。


大掃除も去年は、出来ずにいた。


だから、今年はしたいのたが。。。


買い物依存症の爪痕が、あちらこちらで箱が山積みにされ片付けられる気配もない。


食器やお鍋に調理器具。


まぁーよくもこれだけ買ったものだ。


自分ながらに呆れ返る。


片付けて、大掃除して。。。


したい気持ちはあるけれど、一向に体は動かない。


父が死んでいくのを目の当たりにして、相当精神的ショックを受けているようだ。


連日連夜、介護に看病、母の介助やで体も疲れがピークを迎えていた。


だから糸も簡単に急性肺炎になった。


体力も気力も最早ない。


片付けたい、掃除もしたい、でも動けない。


思いはあっても感情と体、頭、全てがバラバラ。


ここにきて、初めて気づいた。


もう体力も気力もないんだよ。


したいのに出来ない、スムーズに思うように生きれないことに

また新たなストレス。


いつになったら理性と感情、思いと体は一致するのかな?

いなくなってからじゃ遅い!

なんでいなくなってからあれこれと思い悩むのかな?


もっと優しくしてあげとけばよかった。とか、


もっとちゃんとしてあげとけばよかった。とか。


もっと話とけばよかった。とか。


もっともっとコミュニケーションとっておけばよかった。とか。


もっと、もっと、もっと、って。。。


なんでだろう?


今さらあの時、こうしとけばよかった、あーしとけばよかった。


そんな取り返しもつかぬことばかり後悔する。



そして、いつも決まって声に出して「お父さん、ごめんね。」と言って涙する。


私の場合、普通の親子関係でなかった分、

思いは強烈だ。


ずっと父への思いに蓋をして背を向けて生きてきた分、

介護を通してやっと父と娘の関係に戻れた矢先の別れとなった分、

思いは計り知れなく深い。


いつも思い出すのは病院でのこと。


しんどくてイラついて排泄交換時、優しく出来なかったことや、

身の回りのことなどしてる最中に、訳のわからないことを言われて適当にあしらったり。


少し認知も始まりかけてたのか、たまに妄想と現実との境目がない会話などしてくることがあり、

こちらとしては、バタバタしているときに話されるもんだから、つい適当にあしらってしまってたのだが。。。


今思うと、もっとちゃんと聞いてあげとけばよかったよ。


しんどくても、もっと排泄交換時、優しくしてあげとけばよかったよ。


普通にしてても、父は、たまに「そんな偉そうに言わんでもええやん。」て言われたことがあった。


私としては、全くそんな気がないのに。


普通に声かけしてたのに。


声かけの声のトーンが恐らく淡々と言ってたのかな?


「はい、右向いて、今度は私の方を向いてー。はい、ちょっと腰上げてくれる?」って普通の声かけだったのにねー。


父からしたら偉そうに言われてる感じがしたのかな?


辛いね。


本当にどれもこれも昨日のことのように思えるよ。


お父さん、もっと優しくしてあげとけばよかったよ。


ごめんね。お父さん。