親の介護、そして終えて。

親の介護→看とり→そして終えて。

親の介護が始まり疲れてた矢先に介護blogを発見。辛いのは私一人だけじゃないんだと。誰にも言えない相談できない、愚痴りたい!色んな思いをここで吐き出そう!
そして、親の病状の記録を取っていきたいと思います。


そして永眠後の悲痛な思いからの新たな出発。

1年前

去年の10月23日、退院できるかどうかで一時帰宅をした。


そして28日の朝、熱発38.6度あり救急車で逆戻り。


あれから1年経つんだー。


早い。


去年の今頃は、やっと退院できたとホッとして喜んでたのに。。。


帰る前に病院でシャワー浴をして「気持ちよかった」って喜んでもらったのに。


これが最後のお風呂になるなんてー。


でも最後のシャワー浴の介助が私で良かった。


看護師だったら後悔していたよね。




何でだろう?


この時は、歩いて帰れたのにね。


歩かしたのが悪かったのかな?


駐車場から店舗まで。


車降りて家まで。


トータル200メートルは歩いたかも?


リハビリのつもりだったけど、心臓が弱ってきてたんだね。きっと。。。


再度、入院した後に主治医から「夕食時にデイルームまで歩かしてたのも悪かったよ」と言われた。


もっとその時に言っててくれればよかったのに。




ほんの4日程、自宅へ戻ったのが最後の自宅生活となった。


それから寝たきりの生活になり最期を迎えた。


まさか死ぬなんて思いもしなかった。


初期の肺癌で取れば完治のレベルと言われ、手術も大丈夫とまで言われて安心して手術を受けさせたのにー。


まさか1年で命を落とす羽目になるなんてー。


そんなことばかり毎日毎日思い過ごして泣いてー。



もうあれから1年経つんだー。


お父さん、家に帰ってこれたのに。


たった4日間だけー。


戻れるものなら戻して!あの日に!


お父さんを返して!


会いたい!お父さん。


もう会えなくなって7カ月が過ぎたー。


早い。。。


寂しすぎるよ、お父さんー。

2017年1月28日が来たらまる6年だ。


母が心筋梗塞で倒れてからの闘病生活。


ここ数年、落ち着いてくれてたから少し安心していたが、

呼吸器の方で、最近やけに痰をよく出し、粘りけの強い痰なものだから、

出すのにかなり力んでいる様子なので、

呼吸器内科へ受診した。


そして検査結果によると、やはり肺気腫。


吸入薬を処方されかけたが、動脈硬化の重度と腎機能も悪く、血液サラサラの薬もマックスなので万が一、拡張剤で血管切れたりしないのか?

という問いかけに、我慢できるなら経過観察で

痰切りの服薬だけということになった。


と、ここまではよかった。


CTの検査結果によると、それよりも胃のほうに3センチほどの丸い影が映っていることを指摘された。


胃の内側でなく外側だ。


ということで、次回は胃カメラと細胞診の検査だ。


普通なら何てことなどないが、血液サラサラの薬を飲んでるから血が止まらない。


細胞診も何やら嫌な感じだ。


造影剤の検査は、腎機能が悪いので中止となった。


恐らくGIST(ジスト)ではないだろうか?と思う。


もし、そうならこれまた厄介なことになりそうだ。


手術?腫瘍を取る方向へいきそうだ。


下手すれば輸血もあり得る。


手術事態は大したことはなさそうだが、既往歴や体の状態や服用している薬などから見て

全体的に判断するとかなりリスクは上がるだろう。


転移は?今のところないにしても微妙だ。


3センチ?転移するギリのような気がする。


切除しても恐らく肝臓あたりに再発しそうな。。。


何だかそんな病変な感じがする。


考えすぎならいいが。。。



嫌な予感がしてならない。


今月28日と翌月1日と検査だ。


良性ならいいのだが。。。



あー、何となく母も先があまり無さげな感じがする。


嫌だ!やめてくれ!


父が死んで間がないんだよ!


続けて逝かれたら私は、立っていられなくなるよ!


お願い!無事であってくれ!


大したことありませんようにm(_ _)m


ブチブチ言っても母には長生きしてもらいたい。


何があっても親は、一生子供の味方で無償の愛をくれるものだと思う。


私には、悲しいかな子供に恵まれなかったが。


もし、子供がいたならそうする。


何があっても味方で、裏切らない、無償の愛を与え続ける親でいたいとー。


この手で我が子を抱き締めてやりたかったなー。


一緒に泣ける親子でいたかったなー。


そして、言ってやりたかったなー。


「あなたが傷つけば、私も傷つく。

あなたが幸せなら、私も幸せ。

あなたは、わたしの分身。共にあなたと生きる。」てー。


そんな母親になりたかった。



こんな私を産んでくれたのは母なんだ。


母親ってこの世でいちばん大きな存在のような気がする。


お母さん、いつまでも元気で長生きしてね。

疲れる。。。

なんで?


なんで?いつもそうなの?


わがままばっかり。


自我を押し通すことばっかり。


なんで?


なんで?今の現状を理解できないの?


なんで?人のことを考えようとしないの?


なんで?なんで?


本当に疲れる。


死んで無くなってしまいたい。


もう本当に逃げ場がない!


なんとかして!と心が叫んでいる!



9月に母の誕生日があった。


6年弱前に心筋梗塞で倒れて以来、お洒落な杖を3本プレゼントしてきている。


そして、この頃、杖歩行も腰がかなり悪くなり股関節も変形してきてる分、

杖歩行もしんどそうである。


すぐに出掛けていても椅子を見ると座りたがる。


100㍍歩くのもやっと。


スーパーへ行くとカートにもたれ掛かるようにして押して歩く。


だから、今回の誕生日には奮発して椅子つきのシルバーカー、しかもパープルのバラの刺繍ゴブラン織りのお洒落で素敵な物を私なりに選んでプレゼントした。


しかし、あまり嬉しそうではなかった。


どうした?と聞くと「こんなん押して歩くの格好悪い。置くとこもないのに邪魔になる」とボソッと言われた。


悲しかった。


少し前のことである。


そして玄関の下駄箱あたりを片付けて、隙間に入るようにして置き場を確保して帰ってきたのだが、

今日は、消化気内科の受診日で例の胃に腫瘍が見つかった件で、今後の検査の打ち合わせなどをして、その後、買い物をして実家へ例のごとく立ち寄った。


そして帰る際に、明日は訪問介護でヘルプが入り買い物同行があるので押して行くように促してみた。



隙間に入れたままでは使わないと思い、出してすぐに使えるようにセットして帰ろうとすると、

邪魔やのになー、って顔をされた。


確かに父が病院に持っていってたトランクを玄関先にそのままにしてあったので、少し邪魔かも?と思い、それを綺麗に拭いて片付けようとした時、

ブチブチ文句が出だした。


「1年も病院においてあったのに使うの嫌やから捨てる」と。


「はぁ?じゃーまた買うの?今度、検査入院や手術となったらまた入院しないといけないのに荷物何に入れて誰が運ぶの?」と。


私には関係ない。


父の病院に1年置いてたろうがそんなことどうでもいい。


荷物を出来るだけコンパクトにまとめ、荷物を持つということを避けれればそれでいいのだ。


私は、少しでも荷物を持つと極端な肩凝りを起こし、しばらく頭痛が続きかなりきつくなる。


それと、母を手添え介助をするのに両手に荷物を持っては無理。


だからトランクカートなどは必需品となる。


なのに、そんなふざけたことを言って私を困らせる。




そこで、玄関の下駄箱の上にカートを直そうと思い、靴箱をいくつか乗せてあったので、それらをチェックして要らないものは捨てようと整理をし始めた。


そして、この靴ははけるのか?と一応聞きながら間引いていったが、

靴も普通の靴は最早はけないのだ。


心筋梗塞の時に、カテーテルを通した後遺症なのか、元々、下肢閉塞性動脈硬化を患いかけていたのかは定かでないが、

足の指が壊死して切断寸前までいった経緯があり、

形成で靴を作ってもらっているのだ。


なのにだ、心筋梗塞前にはいてた靴をまだはけると言う。


もう普通の靴ははけないのだよ、と何度言っても完全に諦めようとはしない。


そこで、また押し問答。


そして、やっとクリアしたと思い、下駄箱の上に綺麗に拭いてビニール袋に入れたトランクを上にあげた途端、

不満げな顔。


どした?と聞くと「ぶさいくやん」って!


いい加減にしてくれ!


下駄箱の上にトランクを置くと見た目がぶさいくやんって、ほんと疲れる。


誰が見るねん!全く!


もう流石にゲップがでそうなぐらい、もう沢山!って感じ。


9月半ばから、ずっと病院続きで、今日も午前中からの出発で、

ここ何日かずっと帰るのも遅いし午前中からの出発も続き寝るのも3時4時。


ずっと睡眠不足。


明日も用事があり10時半には出かけなければならないのにこの有り様。


これから洗濯を干してお風呂入って。。。



また寝るのが遅くなるというのに。。。



そして、更に聞くところによると、そのトランクは、押し入れの上の戸袋に直していたとのこと。


だから本当はその押し入れの上の戸袋に直して欲しかったんだろう。


しかしながら、私的には戸袋に脚立にのって上げ下げすることはしたくない。


そこで、私は、「これから人にしてもらう生活になってるのにもっと出し入れしやすい負担のかからない収納をしていかないと」と言い聞かせた。



私なり、ヘルパーさんなりにしてもらうということを前提に考えて!と。


重いものを頭より上に上げての出し入れの動作は、脚立にのってはかなりきついししんどい。


そんなこと、お構い無しだ。


いつもそうである。


今まで、自分がしてきたことを人にも求める。


自分でするなら負担なことも好きでするからいいだろう。


しかし、人は出来れば負担の少ない方が有難いに決まってる。


母の我が儘、我の強いところ、本当に全く疲れる。



高齢になると人のことなど考えられなくなるのか?



本当に疲れる。


妹にはそんなことも言わないだろうし、そんな態度も取らないんだろうな?多分。


あるネットに書いていた。


親は、子供を使い分けていると。


可愛がる子供と介護用の子供と。


それに当てはまると私は、まさしく介護用の子供となる。


20才に完璧に独立したからね。


それに比べ妹は、31才まで実家にいた。

そのせいか、両親は妹を目にいれても痛くないほど可愛い。


なのに妹は、何の援助もない。


ムカつく妹に我が儘な母。


疲れる。本当に疲れる。


今となったら父が一番優しくて思いやりがあったのかもしれない。


一番嫌いだった父がー。